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二兎


声高らかに毎日更新を宣言したはいいものの、書くことが思いつかない。

気ままに適当に書き流していくのは楽でも、「書かなくては」という切迫した心境で挑むのは難しいものです。それが義務となり仕事となってくると、同じことをするのでも途端にハードルが上がるものですね。

それでも無理やり更新をしていくうちに、たぶんブログの更新の仕方というのを思い出すはず。ほぼ日記であるこのブログ、日記というものは続けていないと書くコツを忘れてしまうものです。あと何日かすれば軌道に載ってくるだろうな。

年末が近づいてきて、街の雰囲気も華やかになってきました。ショーアップされた店が立ち並ぶ街中を歩いていると、ついつい散財しそうになります。あれも欲しいこれも欲しい、でも必要かな、でも欲しいしな、と悩んでみたり、悩むことに疲れてきて考えるのが面倒になり、気がつけば財布の中の紙幣と引き換えにブツを手に入れている。でも僕、最近はちょっと大人になりまして、物欲はだいぶ収まっているのですが。

毎日ひとつずつ金の卵を産む鶏を飼っていた男の話、ありましたね。あれはなんという作品だったか。古典のものです。最初のうち、毎日必ず金の卵を産んでくれる鶏を大切にし、ありがたく思っていた男が、そのうち欲をかき、日に2個・3個と産まないかと期待する。いくら頼んでも卵の数は変わらずに、男の中に愚かな目論見が芽生えてしまう。「こんなに金の卵を産む鶏の腹の中は、きっと金の塊でできているに違いない」

そして男は鶏を殺め、腹を割くと。腹の中は金の塊であるわけもなく、ごく普通の鶏と同じで、死んでしまった鶏はもう二度と卵を産まなくなってしまったと。

バリエーションを変え、色々な作品で取り上げられるテーマだと思いますが、人はとにかく欲張りなものです。そして、たいていの人が面白おかしく生きていくためには、常にある程度の刺激が必要だったりもします。特に若いうちは。

現代日本では、生きるか死ぬかの切迫した心理状態で毎日を過ごす人間は死刑囚くらいで、「生きる」ということに関してはわりと簡単に安全な位置に立つことができます。精神的な面ではなく、物質的な面において。そうなると、その安全な「生きる」だけでは飽き足らなくなってしまい、もっと贅沢に暮らしたくなってくる。生に直結しない物事に対して、他の生物から見たら異常と思われるほどに執着することができる。そういう欲求は、人の強さでもあり弱さでもあります。惑星規模でみたとき、生命体の個数として「人間」の数は全体の中の少数ですね。他の種と比べてみて「生命」の純度という観点からすると、人は本当に薄く、もろいもののような気がしてきます。

などと述べつつ、僕も新しい車が欲しいしあれこれと楽しんで満足したい。不純ですけどなにか?と開き直って楽しめばいいのか。それもなにか違う気がする。びっくりするほど純粋な生物で恥ずかしいほど欲張りな人間で、どちらも満たす個体になるための道もどこかにあると思うんですけどね。難しいな。

[ 2013/12/06 23:15 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

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