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弱ると人は信じたくなる

パートナーがいない状態の S や M というのは、原則としてどこかで弱っていて、助けを求めているようなところがあります。人が一人で生きていけるのは、ロビンソン・クルーソーのように無人島に一人でいるときだけで、普通、社会の中で生きていこうとするなら、他者とのかかわりは絶対に必要です。悲しいことに、他者との関わりは確実にストレスをもたらします。どれほどに気心の知れた友人同士であっても、長期間の旅行に二人で行くと、友情が壊れたなんて話をよく聞きますね。自分と同一の人間はいませんから、差を埋めるためにどちらか、あるいは両方が努力をしなくてはいけない。努力をすること自体がストレスにならないケースもあるでしょうけど、それ以前に、「自分と違う」相手と居続けることだけでも、ストレスは発生してしまうのです。弱いんでね、人間。

自分と違うということはどうしようもないことでも、それに対する意識の仕方は、自分の気持ちひとつで変えていくこともできて、違いは違いと受け止めつつ、それでも自分をさらけ出せる相手というのを求めます。あれこれ我慢をしないで自分を出していける時間は貴重で、溜まったストレスを浄化できる大切なものになるでしょう。長年の友人同士が旅をして関係が悪化する話を引き合いに出しましたが、それはやっぱり、二人が友人だからであり、友人という関係では出しきれない何かを、ほとんどの人は持っているからです。友人関係には友人関係の良さがあるのはわかりますが、それだけで全部を浄化できるほどさっぱりと生きている人も、少ないのでしょう。

だから恋人は欲しいし、良い相手と寄り添いたい。その相手の前では本当に自分らしくいられる、そういう相手が必要で、いないとどこかで無理をすることになるから、必ず淋しい気持ちはやってくる。稀に、淋しさを知ることなく一生を終える人もいるんでしょうけど、それがハッピーだと思うのは悲しいことだなと思います。

求めるパートナーが得られず、どこかで無理をしているとき、人は弱っているので、その状態を抜け出したい気持ちが絶対に芽生えてきます。自分では意識できないことも多いですが、ちょっとした出会いや出来事を、運命的なものだと思いたがる。自分にとって心地よい言葉を本当だと思いたくて、反復して自己暗示に近いような状態になりがちです。キタナイ話ですが、失恋したばかりの人を自分のものにしようとすれば、やりようによってどうとでもなる気がするんですよね。(もちろん、例外が存在することもわかってはいます)

S でも M でも、良いパートナーに恵まれていない状態というのは、同じように何かを信じたくなってきます。単に恋人がいないという状態と、SM のパートナーがいないという状態は、実は何も変わらないと思うのですが、不思議なもので、SM のパートナーがいないことの方が、より難しい状態のように感じてしまう。誤解を恐れずにいうなら、「そういう状態だと思いたがる」傾向もありますかね。僕が知る限り、SM に興味を持つ人たちは、一般よりも自意識過剰な傾向が強く、少しの不幸よりも不幸の極みに身を置きたがる傾向があります。僕なんかそうですし。だから、恋人がいないということよりも、SM における理解者がいないということを、より苦しい状態だと考えたがる。そして、そのぶんだけ強く、相手を求めたがる。「自分には S (M) が必要である」と、そういう意識は強くなり、婚活をしている妙齢の男女よりもさらに貪欲に逼迫して相手を欲するようになります。

そういうとき、少しでもいいなと思う相手が見つかると、「この人はもしかして…?」と思いたくなるし、「この人なら…」と思いたくなってきますね。それで良い出会いを得られることだってあるでしょうけど、水が低きに流れるように相手を選ぶと、後悔することも多いでしょう。

だから、できるだけ楽観的に考えていきましょう。S であれ M であれ、そういう性癖の相手を見つけることは簡単だと。見つけようと思えば、一生懸命に探せば、見つかりますよそれは。怖いのは、弱ったままで流れて、お手軽に運命を見つけようとすることです。「急いては事をし損じる」と言いますよね。仮にあなたが SM の愛好者で、理想とするパートナーがいないとする。欲する気持ちは当然ですが、それは恋人がいない人もみんな、同じように感じる気持ちです。「ご主人様がいないとダメだ」と思わないこと、「M がいないとダメだ」と思わないこと。いた方がいいけれど、いまいないからといって、それでいまのあなたがダメだということにはならない。

弱った獲物を狙って目を光らせているハンターは腐るほどいます。
自分が弱っていないときは、なぜそんな奴らにハントされるのかと不思議に思うことでしょう。でも、オレオレ詐欺だっていまだに機能していることを考えれば、人の脆さも知っておくべきです。本当にその相手を求めているのかを、よく考えて踏み出すべきなんでしょうね。

弱ってもいいし、求めてもいい。焦るなというのが今日の主旨になりますか。


それでもどうしても「飛んで火に入る夏の虫」になりたいのなら、他より優しくしますのでわたくしのところへどうぞ。M の女性限定ですが。

いや、別に M じゃなくてもいいか。
僕は S だから。




[ 2013/06/28 23:25 ] SM and Sex | TB(0) | CM(4)

ゆーり様

ならば私は今弱ってないのですね

信じる事は難しいです

[ 2013/06/29 07:53 ] [ 編集 ]

これもまた…興味深く面白いお話でした

いい大人なので…自分が欲しているものや、満たされるための条件はなんとなくわかっているつもりなんです
でも独りの時間が長いと弱気にもなります


私が一番飲みたいのは冷たく澄んだ水なのに、いつもそばには無くて
喉が渇いて仕方がない時に、目の前に水以外のものがあったらとりあえず喉を潤そうとするでしょう

でもきっと満足は得られない
少し飲んでみて、違うと感じるのでしょう


それが人間相手ならば、傷付いたり傷つけたりもします
だから私は妥協したくないです

なんとなく人肌恋しくなったりすることはあります
そんな時は異性と食事したり、話したりするだけで楽になる部分もあるんです

でもSとMとしての関係を築きたい欲求に対しては妥協しません
見誤ることのないよう、慌てずに…次の機会を待っています
[ 2013/06/29 15:31 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

> ともさん

言葉が足りず、申し訳ありません。
言いたかったのは「こっちの水は甘いぞ」という誘いに乗るのは避けたい、ということでして、信じる信じない、またそれの難しさについては状況に応じて様々だと思います。

ともさんのブログも拝見しました。疑うことは簡単で、信じることは難しい。それはその通りだと思います。おそらくはご主人様に対しての感情なのでしょうが、疑いはじめればキリがなくて、悪い想像は次から次へと膨らんでいくものです。言い方を変えれば、「自分が疑っていることが真実だと信じたくなる」状態で、信じることよりも疑うことが易しいので疑ってしまう。独りで相手を欲しているとき、甘い言葉に堕ちやすくなるのと感覚的には同じです。

苦しいけど信じようとするよりも、疑ってしまう方がわかりやすい。疑うこと自体は苦痛で辛くても、それ以上に「本当かな、嘘かな」と悩んでいる状態の方が苦しいと僕は思います。

疑うことで、相手を責めたくなる気持ちと、そんな自分を責めたくなる気持ちと、負の感情の連鎖が起こりますね。どのようなことで疑う気持ちが芽生えてしまったのかわかりませんが、そういう状態になるには、双方に責任があるのだと思います。話し合っても消化できないのであれば、事実がどうあれ、そういう気持ちになったことでお二人の関係もそれまでなのかと、少し厳しめですが思ったりもします。

記事では「弱っているときに安易に甘い言葉を信じるな」といった内容を書きましたが、本意としては「心から信じられる相手を見つけよう」ということがあります。そうなれないのであれば、その相手は他の知人となにが違うでしょうか。心から信じるには、そうさせてくれる相手でなくてはいけないし、そうできる自分でなければいけません。そんな関係を築いていくには相性に加えて互いの努力が不可欠であり、築けないとしたら、その努力をどちらか、あるいは両方が怠ったということでしょう。

完璧な人はいないので、誰といても、ともさんが苦しむときもあると思います。その都度、弱気な自分に負けるもんかと言い聞かせるタフさは、S とか M とか男や女も関係なく、必要なことなんでしょうね。人に傷つけられた相手を優しく癒してあげたいとは思いますが、自分の弱気に負けそうになっている相手には、叱咤激励が優しさになるかと思います。ともさんは、現時点ではきっと、自分との戦いなのでしょう。どういう形でなにができるのかはわかりませんけど、応援しています。思い切りぶつかってみていいと思いますよ。

長文に加えて失礼な言い回しもあったかと。
ともさんの最新ブログやコメントから憶測しただけの印象論ですし、なにも悪意はありませんのでご勘弁ください。
[ 2013/06/29 16:18 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

> ソラさん

S と M の関係を築いていくことに妥協をしない姿勢が、自分自身を高めていくのだと実感します。僕は、最終的な理想形が「何様か」というほどに高く、しかしそれに見合う強さを併せ持っているわけでもなく、油断すると目の前のものを飲みたくなってきます。水のたとえで言うのなら、何か飲まなければ死んでしまうから、多少は仕方ないのかなとも思いますが、本当の満足感を得るためには、余分な色気が多すぎた気がしています。

勇気というのは、いつどこで使うべきものなのか、それを間違えなければ後悔するってことはなさそうなので、これからも考えていきたいと思います。

ソラさんが M としていられる相手は、なかなか見つからなそうな印象を受けますね。本人としては面白くもないことでしょうが、見方を変えれば、それだけ魅力的で本質的な M の方なんだろうと、僕は思っていますので喜んでやってください。

[ 2013/06/29 16:32 ] [ 編集 ]

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