スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

「濡れた身体を撫でてくれ」のパラドックス


仕事が終わる時間に合わせたかのように雨音が聞こえ始め、空気に雨の甘い香りが入り混じってきました。空梅雨と言われ、水不足が危惧されている中で、しとやかに響く水の落下音は、疲れた肩をトントンと心地よく叩かれているようなリズムを思わせ、まずは穏やかな気持ちを誘います。

穏やかであることを自覚するとき、不意に内から発散させたい衝動があり、そんな気持ちが危ういと感じたり、息苦しかったり、それでも微かに愛しかったり。言葉の無力はいつでも実感できますね。


降る雨に両手を広げ、傘も差さずにその場で濡れてしまいたくなるときが、誰にでもあると思います。そういうときの雨は、強ければ強いほどよく、衣服を瞬時に浸透して素肌を包み、全身が喉になったようにゴクン・ゴクンと、ドクンと息づいて生命を感じます。生きたいと思うときも死にたいと思うときも、生きている。本当はみんな同じだけど、そう知ることは難しいし、知れば知ったでつまらなくもある。そんなエゴまで誰でも同じなんでしょうか。


大気圏内を含めて、地球上に存在する水の量というのは、地球誕生以来の永い年月の中でほとんど変化がないそうです。つまり、同じ水が何度も何度も何度も、地球の中を循環しているということです。

ということは、いま窓の外に見える雨粒も、前は誰かの涙であり、唾液であり、尿であり、血であり、身体だったんだろうと。気持ちがどこに宿るものなのか、専門的なことは知りませんけど、身体にも宿るとは思うから、雨も誰かの気持ちだったのだろうと。これからもまた、そうして循環を繰り返すのでしょう。人だけではなく、生命あるものの営みを味わい尽くしてまだ留まることなく、さらに濃密になっていくのでしょう。


雨は水の循環をこの上なくわかりやすく伝えてくれるシグナルであり、その雨粒に飛び込みたい気持ちは、一体化したい純粋な欲求なのかもしれません。ないものねだりというよりも、滑稽な欲求。望む望まないに関わらず、僕らはひとつのものでしょうから。


いまからちょっと濡れて参ります。
あなたの涙に。



[ 2013/06/20 00:16 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(4)

自然の中に

自分とのつながりと一体感を感じる瞬間が、「よく」て、
キャンプはやってた気がしますね。私は…人間は、「一部」で
そこにいることが正しく、ここに所属する何かなのだと。
地面から、自分へ、そして大気へ。全てが連続しているのだと
感じていました。温度、匂い、味、手触り、重力。
ゆーりさんのエントリーを見て思い出しました。私も、息子と
雨に濡れに行こうかなあ、なんて。
[ 2013/06/20 06:45 ] [ 編集 ]

Re: 自然の中に

ちょっと雨に濡れたいなと思って、傘を投げて立ち尽くしてみると、その感触を気持ち良いと感じる自分の中に、すぐに「スーツがびっしょり、やばいんじゃない?」といった些末なことを突っ込んでくる自分もいて、本当に気持ち良くなるのは難しいなと感じました。

[ 2013/06/21 01:55 ] [ 編集 ]

そ…それはまずいんでは

やっぱりスーツは、まずいでしょう、洗濯が面倒です(考え方が主婦w)。
Tシャツとジャージで是非、再チャレンジを。
[ 2013/06/21 08:34 ] [ 編集 ]

Re: そ…それはまずいんでは

ほとんど毎日スーツで一日を過ごすもので、感覚的にスーツとジャージと変わらないんですよ。結果、あとで困るのは自分なんですけど、ついスーツだということを忘れちゃいます。いまも雨が降っております。ぐっとこらえるか。
[ 2013/06/21 22:47 ] [ 編集 ]

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://smshyness1.blog.fc2.com/tb.php/110-45ab3f77


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。