イニシエーションラブ


イニシエーションラブが映画化されたようで、機会があれば観に行きたい今日この頃です。

原作のイニシエーションラブはとてもよくできていて、ミステリなのにちっともミステリっぽい事件が起こらないストーリーが、読み進めているうちにかえって不気味で、不安定な足場に立たされているような落ち着かない気持ちにさせられたものです。読む前からミステリであるということを知っていたので、結末はほぼ予想できてしまいましたが、それでも再読したくなる作品だったし、読み返せば読み返すほど、ちりばめられた伏線の上手さにうなったものでした。

あれは、小説ならではの叙述トリックだと思うので、それを映像で表現するというのが、それだけで価値あるチャレンジだと思います。どんな手法で描いているのか興味があるし、やっぱり観たいなぁ。よほど完成度が高くなければ、完全な駄作になってしまうと思います。それでもあれだけ宣伝をして、自信満々に公開されているんだから、きっと目から鱗のハイクオリティでまとまっているんでしょう。あまり期待しすぎるとがっかりするかもしれないけど、なんとなく成功しているんじゃないかって予感があります。

傑作といわれる原作の映像化は、当然リスクが高いですよね。もともと、小説と映画では表現できる部分が異なっているわけで、同じクオリティを期待するのが酷なのかもしれません。「違う」という前提で楽しまないと肩すかしをくらうけど、同じタイトルである以上、そのふたつをまったく違うものとして認識するのは難しい。たまに、原作もよくて映画もよいという作品があると、一粒で二度美味しいみたいな得した気持ちになれます。

良質の小説の映像化が成功するかどうかは、脚本の力もさることながら、演じる俳優さんの力量に依るところも大きいと思います。その人が出ているだけで傑作になりうる、そんな役者さんもいますし、反対に、その人が出ているだけで内容はいいのに迫力を失ってしまうというケースもある。たとえば、僕はSMAPの中居くんは決して嫌いではないけれど、彼が主演した「模倣犯」は、さすがに失敗だろうと思いました。ピースを中居くんに任せるのはミスキャスト以外のなんでもない。あれは脚本もどうかなと思いましたが、仮に脚本がどうであっても、中居くんのピースはちょっと違うって気がしちゃいます。

もちろん、個人的な感想ですから、あれを中居くんの代表作とする人がいても、それはそれで納得はしますが。

イニシエーションラブはどんな仕上がりなのか、とにかく気になってきたな。とりあえず観に行く時間はいまのところないので、小説をもう一度読み直してみようかな。

[ 2015/05/26 21:35 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

パワーアップ!!


連休が明けて、久しぶりに出勤してみると、仕事というのがいかにストレスなのかよくわかります。というのも、強烈な偏頭痛に襲われたからで、職場にいるというだけで、無意識に感じるストレスがあるんだろうなと。

しかし、そんな頭痛ごときに負けてはいけないので、これは気のせいだと自分に言い聞かせて頑張ってみる。

頑張るといえば。

先日、俳優の今井雅之さんが末期がんであることを告白していました。健康だった頃の面影はなく、やせ細った姿はとてもショックで、それでも復帰をあきらめない強い意志には感服しました。もし僕が同じ立場なら、仕事のことなんか忘れて好きなことをしたくなりそうな気がします。言葉の通り、命がけで取り組める仕事というのは素敵ですね。

で、その今井雅之さんの会見を受けて、当然のようにいくつも記事が書かれ、ヤフーコメント欄にもそれぞれの応援メッセージがたくさんついていました。その中で散見していた意見に、「彼はもう充分に頑張っているんだから、これ以上頑張れなんてとても言えない」といったものがあり、読んでいて違和感を覚えました。

何年前からか、「頑張れ」という言葉が、まるで悪意のある言葉かのような受け止め方をされることが増え、先に書いたように、「あんなに頑張っている人に向かって『頑張れ』なんてよく言えるな」といったセリフをよく見かけるようになりました。まぁ、それはそれでひとつの考え方でしょう。でも、その意見を他者に言う必要はないかなと思います。そもそも、頑張っている人に頑張れと言ってなにが悪いのか。

「頑張れ」を言ってはいけない状況もあるとは思うけど、実は稀で、自分で「頑張る」と思っている人に対して「頑張れ」というのは、たいてい純粋な声援として相手に届くものです。過保護だったり偽善好きな誰彼に限って、頑張れという言葉を否定しようとするんですね。「もう頑張らないでください」が効果的なシチュエーションもあれば、「頑張れ」がぴったりな場合もある。こないだの今井さんの会見を見て、今井さんに向かって「頑張れ!」と声をかけることは、決して悪いことだとは思えません。声援が力を生むことだってあるし。

なにがなんでも頑張れを連呼すればいいわけではない。臨機応変は必要だけど、甘やかしすぎもよくはない。ちょっと弱っている人がいるとすぐに「もう頑張らなくていいから」と言いたくなる人が多いですが、それは相手を楽にはさせても、強くはできない場合が多いです。とすると、次に同じ状況が生まれたときにまた困るだけだし、そのときもそのさきも、ずっとそばにいて「頑張るな」と言って面倒を見てあげられるならいいけど、そうじゃないなら、対症療法ではなく原因療法を選択すべきですよね。

たぶん、「もう頑張らないで」と「頑張って」という言葉は、同じ気持ちから自然に出てくるべき言葉なんでしょう。つまり、相手を思いやる純粋な気持ちから。そこにそれ以外の感情が混じってしまうと、ストレートに響かないで、ロクな結果にならない。現代では、至れり尽くせりに慣れすぎて、頑張るという言葉の意味が履き違えられていそうです。いまのままでは手に入らないなにかを手に入れたいのなら、自分が目指す自分にそのままではなれないのなら、頑張ることは確実にひとつの手段です。万能ではないけれど、無能でもない。家族や親友、医者でもないのに、安易に人に「頑張るな」ということの方がよくない気がします。

[ 2015/05/07 21:31 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)