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ダーツを投げたい


現在、職場付近にある県営団地の塗装工事が行われています。かれこれ一か月以上はやっていますが、今週になってようやく足場の解体が始まり、それまでベールに覆われていた塗装工事の成果が少しずつお披露目されてきた感じ。いくら外壁を塗ろうとも、建物自体が相当年季が入ったものだし、目を見張るほどの劇的な変化は乏しいです。でも、やる前よりはクリーンな雰囲気になったのも確か。外壁塗装が終わったら、次は団地を中心とした商店街の舗装に着手するようで、こういう流れを見ていると、国や地方公共団体の機能というのは大切だなと実感します。放っておいても誰もやらないでしょうから。

2月も25日となり、年度末が近付いてきました。
年度末になると、あちこちで道路工事が行われたりして、車通勤の僕としては少々困ります。ときには何トンもの重量があるトラックが疾走するわけで、道路も傷んでいるのはわかりますが、目に見える違いが判然としないので、ありがたみよりも工事に伴う不都合さに目がいってしまう。しかし、わざわざ道路を改悪しても意味はないし、いうまでもなく良くするためのものなんだろうから、これからは今までよりは好意的に工事現場を通り過ぎようと思います。

昨年、一時期ハマった「字を書く」というマイブームの波が、いままた再来の予感です。帰宅してから練習するほどにはいかないけど、仕事中、字を書く機会もけっこう多く、そのときにただ漫然と書くのではなく、意識的に綺麗な字を書けるように心がけてきました。気持ちを入れて書くと、やはり違った字ができるものだと納得します。日常の所作ひとつひとつに洗練された雰囲気を醸し出せる大人になりたいですね。

それから、もう何年も前に夢中になっていたダーツにも、最近また手を出しております。しばらくダーツを投げないうちに、ダーツをする人たちのトレンドも変化を遂げたようで、自分が毎日のように投げていた頃との違いも楽しいです。このところの僕の行動範囲内には、ダーツバーといった形式の店しかなく、店内の照明も暗めである場合がほとんど。そういうムードが似合う遊びではあるけれど、ある程度明るい店内の方が投げるにはやりやすい。それに、開放感がある中でやる方が純粋に楽しいと思うので、もう少しアミューズメント色が濃い雰囲気のお店も開拓したいところです。

ダーツは、結局のところ集中力を競うゲームであり、ほんの数メートルしか離れていないところから的に向かって矢を投げるというシンプルなルールなので、頑張っていれば誰だって上達することができると思います。ごみ箱に向かって丸めたごみを投げ入れようとして、入って嬉しかったり入らずにチッと思ったり、そういう経験は誰にでもあるでしょう。そういう感覚をソフィスティケートしていったのがダーツであり、本当に簡単に遊べるものです。店舗に置いてあるハウスダーツの質も、10年前に比べると良くなっている気もするので、手ぶらで行ってもそこそこ楽しめます。もちろん、マイダーツを購入する方がより楽しいし、練習にも身が入る。集中力を磨くことは、その他の様々な面でも有用なことだと思うし、気軽に投げられる場所が増えるといいんですけどね。

[ 2014/02/25 16:39 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)


都内某所にて、昨日。

救急車が交差点に進入しようとしているのに気が付きながら、急いで横断歩道を渡り始めた歩行者を見ました。5~6人はいて、救急隊員の方も「救急車が進入するのでご協力ください」とスピーカーで何度か呼びかけていたのに。わたっている途中でそういった状況に遭遇したのなら(まぁかなり遠くからでもサイレン音は聞こえるので、そうなる可能性も低いですが)さっさと渡ってしまおうと考えるのは当然でしょうが、そうではなく、渡る前だったのに慌てて渡り始めたというのが許せないところです。50代くらいのスーツ姿のおじさんや若者が何人か、傍から見ていて本当にみっともない。「やばいやばい」みたいな表情に苦笑いまでブレンドして小走りに、ああいう人たちをそのまま轢き殺しても別にいいんじゃないんだろうか。

震災のとき、火事場泥棒的な人間が少ないと称賛された日本人のモラルですが、実際には報道されなかっただけで非人道的な事件もちらほらあったとか。誰が悪いというか、これはもう人間という集団の弱さということなんでしょうか。自分も同じであり、小さな悪事をいくつも重ねているのだろうと思うから、行き場のない怒りの感情を無理矢理でもプラス方向のベクトルに変えて、勢いよく走り出したいと思います。カッコいい生き物になりたいのです。

[ 2014/02/13 18:06 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(1)

また降るんですか。


「ブログもまとめて更新できそうだな」と締めくくった前回更新から数日空いてしまいました。
まとめて更新どころか、あまりに降った雪の影響で、仕事をはじめとした生活サイクルがガタガタになりかかってましたね。日曜日の夜には、まだ溶けきらない雪道を2時間近く歩かざるを得ない状況があり、おかげでいまも筋肉痛です。筋肉痛が数日残るなんて久しくなかったので新鮮ですらあります。

恐ろしいことに、今週末も同様の大雪が予想されているようですね。関東では、14日の昼~夕方くらいから降雪の可能性があるとのこと。先週と同じ気圧配置であることから、積雪の量も同程度になるのではという予報。もしも的中するとなると由々しき問題です。

今週末も、当然のことながら出勤を控えていますし、職場の周りではいまもまだ溶けきらない雪が残っています。それに上乗せするように前回と同じ規模の積雪があるとすれば、とにもかくにもまたもや職場に一泊することになるんだろうか。居心地は良い職場ですが、一泊するとなると退屈だし疲れも取れないんだよな…。

まぁなるようになるか。

先月36歳になったわたくしの、この一年の目標のひとつに「料理をする」というのがあります。これまで、ひとり暮らしも何度も経験したいっぱしの大人としては、情けないほどに料理ができなかったのです。「料理って食べるものだよね」という価値観から脱却できず、それをダメなことだとも思っていませんでした。でも、できなきゃできないでなんとかなることではあるけれど、できるならその方がいいに決まってます。どんなに努力しても絶対にできないことであればあきらめもつきますが、むしろ反対で、これまでの努力はゼロ、やればできそうな気配がぷんぷんしている。ちょっとしたときに、さらっと美味しいものを作れる男性。カッコいいなぁ。

最近では、天ぷらに挑戦してみまして、思ったよりは良い出来だったので満足です。天ぷらとして揚げれば美味しくなる食材ってけっこうありそうだし、いろいろと試してみたいですね。

[ 2014/02/12 21:33 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)


ただいまバスで出勤中です。
10年に一度とか20年に一度とか、そういった表現はよく見かける不思議なものですが、たしかに今日の雪はそれが誇大表現にならないほどの強烈な勢いですね。もっとも、それは僕が関東に住んでいるからであって、東北や北海道に人からすれば、この程度の雪でパニックになる関東ものは軟弱だということになるんでしょうか。

この雪の中でも運行しているバスに感謝です。今日はこの時点で職場への泊まり込みが確定。帰れぬとわかっている旅路はつらいものですな。

いつも車通勤なので、移動にバスや電車を用いると、その時間に色々なことができるなと得をした気分になります。ツイッターとか、みんなどういうときに呟くのかなと思っていたけど、こういう手持ち無沙汰な時間にそれをする余裕があれば、気軽になんでも呟くかもしれません。それに対して反応が帰ってくるのも嬉しいだろうし。やっぱりもっと活用したい。普段から電車やバスを利用して通勤したくなってきます。

車通勤は、いつも座ってはいられるものの、基本運転に集中する必要があるので、移動時間が純粋に移動のみに充てられてしまいます。その時間が電車での移動時間に変わっても、暇な時間が増えるだけなのかもし得ないけど、暇な時間があるのって大事なことですよね。

今日はきっと、仕事も暇になるだろうし、出勤前に本屋にでも寄って、優雅な土曜日を味わってやるか。
ブログもまとめて更新できそうだなー
[ 2014/02/08 12:32 ] その他 | TB(0) | CM(0)

砂粒より小さくてもそれがたしかにあるのなら。


昨日は雪が降り、車通勤の僕としてはヒヤヒヤでした。
子供の頃は雪の日は特別で、それだけで何か素敵なことが起こりそうな予感に包まれていましたが、いまは雪が降ると気をつけなくてはいけないことの方が多く、寂しいものです。

それでもやはり、雪というのは特別なもので、なにかにつけて感傷的な気持ちを誘ってきます。ついでに、性的な気持ちをも喚起してくるような気がして、なんの関連もないのに SM について想いを馳せたりもします。

おそらくそれは、僕が SM 好きだからであり、雪と SM の因果関係というよりは、自分が強くこだわっているものと雪との間の因果関係になるんでしょう。たとえばお酒が好きな人であれば、雪が降ればそれだけで肴となり、美味しいアルコールを堪能できるように。

現実的には難しいところだけど、雪景色を背景に緊縛された女性を眺めるとしたら、それはとても美しい。縛られて無防備に、漏れる吐息は白く、息遣いを視覚で感じることもできる。息の白さは熱となって僕の身体の内面に浸透してきそうで、その熱を動機に変えてカノジョに近づいて触れる。身体が冷えているのはカノジョも同じ。内から熱いのも同じ。指で触れればその部分だけは繋がって、そこにカノジョがいること、そこに僕がいることを確認しあえる。本来はひとつであった僕らが、いまも本当はひとつであるという事実を、あわよくば認められそうになる。

生に純粋であろうとするには、僕らの身の回りには余分なものが多すぎて、そのひとつひとつを脱ぎ去って晒せる相手が目の前にいるのなら、それはこの上もない幸福の瞬間です。不安や不満を抱えているのは誰でも同じだけど、それらを抱えたままでなお、完全な安心感を得ることもできます。奥深くに届くものを与え合えるように寄り添っていきましょう。届くものが大きさを持たない、たとえ砂粒よりも小さなものでも、それで充分なときってたくさんあります。



[ 2014/02/05 18:21 ] SM and Sex | TB(0) | CM(0)
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