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兵どもが夢の跡


綺麗な字を書きたいなと思って練習を続けているうちに、一字単体ではなく、それらがまとまった綺麗な文を書きたいなと思い、しかもその文の見た目だけではなく、内容までも美しくなればいいのになと思って、そういった欲望が果たして同時に満たせるのかと疑問を感じたりする。

そして不意に、僕は「美しいもの」が好きなんだと気がつきました。「美しい」の定義は人それぞれで、誰かにとっての美が、他の誰かにとって醜悪であることもままあることですから、美しいものってなんですかと問われても、即答することは難しい。けれど自分としては、「何が欲しいの」と聞かれたときに「美しいもの」と答えることはしっくりとくる。美しいものが欲しい。

それは、顔が美形であるとか身体がナイスであるとか、そういうことではなく、そのものがそのものであることに対して過不足のない、100%のそのものであるときに、それを見て芽生える気持ちだなと思う。だから、求める美しいものを手に入れることは至難で、ないものねだりを繰り返すことになる。なにかを欲しがることが、どれほど傲慢なことなのかを思い知りました。が、傲慢だろうとなんだろうと、欲しい気持ちは消えないので、求めることもやめないでしょう。

一人で存在することは、本当に存在しているのかもわからなくなるような、誰にもできない、できても誰かがそれを知ることのない、ゼロの正体を探ろうとするような無意味な想像なので、一人で存在することはできないと言い切ってしまう。とすれば、美しいものは、それひとつあっても、自分も美しくなければ、手に入れたときに「僕ら」は美しくない。結局、美しいものが欲しいから、美しくなりたい。

なんだかナルシストのような発言ですが、やや開き直ってはいるものの、特にナルシスト的な傾向ではありません。そうではなくて、誰でも同じではないかと思ったんですよね。「美しい」の定義が人それぞれであっても、美しいというのは憧れや羨望を含んだ意味の言葉であるのは、誰にとっても同じことだと思うし、自分にとっての美というのを、みんな欲しいしそうありたいと、そういう本音はあるんじゃないかな。

そうあるためにどうすればいいのかは、それも人それぞれになるけれど、精一杯というのは良い言葉だと思う。何事にしろ、精一杯でそのことに当たっていくのは、美しいんじゃないだろうか。本来の意味で精一杯であるとき、そこに見返りを望むことはないし、限りなく純粋な気持ちを自分の中における瞬間は精一杯の一瞬って気がした。

難しく、回りくどく書こうとすると、いくらでも遠回しに、意味深に、思慮深そうに語っていけるのだけど、ようするにいまの欲求を一言でまとめると、壊して一緒に眠りたい。


目が覚めて、夏草や。
視界にきっと、美しい空。

[ 2013/05/31 23:43 ] SM and Sex | TB(0) | CM(2)

そしてそのままいきなさい


最近よく駅に行きます。

普段、車通勤なもので、電車を利用する機会がほとんどなく、どこへ行くにも車で移動することが当然のようになっていて、駅に行くこともありませんでした。たまに行くとしても、それは人を迎えに行くときなんかであって、車を降りて、自分が駅前や駅の中をうろつくことなんてまずない。

実は、それはもったいないなとも思っていました。
特に夏場になってくると、世間には薄着の女性も溢れかえり、ただ歩いているだけでも目の保養となる。車通勤だと、どうしても行き帰りの景色は単調なものとなり、偶然人と知り合うこともない。知り合って遊べるわけではないにしても、たくさんの人とすれ違える駅前というのは、魅力的な場所だと思います。毎日使っている人はなんとも思わないんでしょうけど。

ところが、このところの万年筆ブームで、駅ビルに入っている文房具屋さんに顔を出すため、自然と駅前によく行くようになりました。電車には乗らないものの、賑わっている雰囲気は楽しいです。だんだん暖かくなってきて、薄着の女性が多いのも嬉しい。関東は梅雨入りしたというし、暑い季節が近づいてますね。

ただ、僕が好む羞恥的なプレイに関していえば、最初から薄着だと楽しみが減少するのも確かです。脱がせていく過程にも醍醐味がありますから。それに、僕は「見られる前提」の露出は好まないので、ある程度は服を着ている方が、露出デートにも工夫の幅が広がるというものです。街中の女性が薄着だったり、海やプールで見かける水着姿は素直に嬉しいものだけど、自分が調教する相手となれば、工夫の余地がある方が面白い。そういう意味では、まさにいまくらいの時期はちょうどいいのかもしれません。

しかし街中は人が多いな。
その約半分は女性だし、そのほとんどが可愛く見えてしまう。
楽しそうに笑っている女性は原則として可愛いんですよね。好き嫌いの好みはあるにしても、可愛さのない人なんていないでしょうし。僕は男だから女性限定で思うけど、女性から見たって、たいていの男性に可愛い要素はあるんじゃないでしょうか。

ちょっと行動範囲を変えただけでも、出会える人間や風景はガラッと変わってドカンと増える。それも「全部」から見ればほんの一部分に過ぎないし、こんなにいっぱいの世界の中で、唯一と思える相手に巡り合えた人って幸せ者ですね。


なぜか最近、ブログを更新していると、サディスティックな気持ちが疼いてくるんですよね。
万年筆で書いているからか、官能的な意識も刺激されるのかもしれません。

視線だけで充分だから、浴びせたくなる。
一対一で向かい合って、身動きもせず晒して、僕にきちんと視姦されなさい。


想像力はどんな道具よりも素敵で危ない SM グッズです。



[ 2013/05/30 23:28 ] SM and Sex | TB(0) | CM(0)

メロンソーダは可愛いのか。


最近、ファミリーレストランに行く機会がない。なので、ドリンクバーというものにもめっきりご無沙汰しています。子供の頃は、なんと素晴らしいシステムなのかと狂喜していたドリンクバーも、大人になってからはそう何杯もおかわりできなくなり、頼んでもせいぜい2杯飲むくらい。でもつい頼んでしまう、魔性のメニューです。

かれこれ10年前の話、ある女の子とファミレスに行った際、ドリンクバーを注文して、僕は意気揚々とドリンクを取りに行きました。選んだのはメロンソーダ。グラスに氷を入れ、メロンソーダを注いでストローを指して席に戻ると、それを見た女の子が爆笑してます。わけがわからず、いったい何を笑っているのかと尋ねると、「あなたはなぜメロンソーダを持ってきたの」という主旨のコメントが返ってきました。なぜって、美味しいし飲みたいからなんですが。

当時の僕は25歳だったと思います。10代から20代前半にかけての僕は、年齢のわりに落ち着いて見られることが多く、大人ぶって悪ぶって、まぁそういった雰囲気を好んでいたんですよね。そういう格好をしている僕が、嬉しそうにメロンソーダを持ってきたことが面白かったらしいのです。「なんでそんな可愛いものを持ってくるの」と、涙を流しそうな勢いで笑いながら言う彼女を見て、これは褒められているのか貶されているのかとしばし判断に迷ったものです。

小さな子供の頃、メロンソーダという言葉の響きは圧倒的に甘美であり、それを飲むこと自体がイベントになり得るほどの逸品だった、はず。基本が子供のまま年齢を重ねた僕にとって、そんな素晴らしい飲み物を好きなときに飲めるという状態は、「大人」以外のなんでもない。メロンソーダは可愛い子供の飲み物ではなく、むしろカッコいい飲み物だと感じていたのに、どうも大きな勘違いだったようで。

あれから10年あまりが経過したいまも、ドリンクバーを頼むことがあれば、かなりの高確率でメロンソーダを持ってきます。スーツでも私服でも関係なく、連れが誰でも関係なく。子供の頃に感じていたようなスペシャルな幸福感はさすがにないけれど、もはや習慣なんでしょうか。


余談ですが、たしか大学生の頃、ファミレスでバイトしていた友人に、ドリンクバーの商品の中で、原価がもっとも安いのはメロンソーダだと聞きました。自分が安物扱いされたような屈辱を覚えましたが、あれは本当なんだろうか。

[ 2013/05/29 13:54 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(4)

とっても面倒だ!


さて、更新してみるか。

予告通り、先に手書きで作ってから、キーボードにいってみます。ということで、いま二行(ノートで)書いたけど、なかなかハードな作業だな。こんなときこそ、長時間筆記に耐える筆記具の王様、万年筆の独壇場だ。

万年筆を使い始めてから、筆圧がどんどん弱くなっていきます。ボールペンや鉛筆を使うと勝手が狂う。美文字は欲しいけど、万年筆限定になっても困るし、バランス良く練習していこう。

こうして手書きをしていると、校正もしたくなってくる。

手で字を書くのとキーボードで入力するのと、速度の違いは出てくるけど、それを差し引いても、手書きは時間がかかる。頭の中で書くことを思いついてから、それをアウトプットする際に、キーボード入力よりも手間が多いんでしょう。変換キーはないし、漢字を自分で判断して書いていくしかない。だからどうしても「書ける文章」を優先して書きたくなってくる。使いたい表現があっても、即座に漢字が出てこないと、つい代用表現を探してしまうのです。かえすがえすも昔の文豪は凄いな…

よく考えたら、ノートにはひらがなで書き、入力するときに変換すればいいんですが、ちっぽけなプライドってやつが邪魔をしてきます。こうなったら漢字もきっちり思い出さないとな。

単に手書きからの更新がどんなものか、探るためだけの更新になってしまいましたが、本日はこれにて。もう少し字がうまくなったら、書いた紙を写して、その画像を載せて更新でもいいのかと思いつつ、「この人絶対にヒマだ」と思われることが怖いので当分やりません。

草々


以下、キーボードオリジナル

ノートに書いたものをキーボードで入力する作業、思ったより難攻しました。
おそらく、ノートには縦書きで書いてしまったので、横書きで入力画面があると、なんだか頭が混乱するんでしょう。明日からはノートにも横書きにするか。

[ 2013/05/28 22:58 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

短文憧憬

ブログのカテゴリ及び記事内容を、もう少し見栄えの良い雰囲気にまとめ直そうかと考え、
少しだけいじりました。

もともと「日記」というカテゴリだったものは「雑記雑文」とまとめ、「筆記具」は「文房具」へと名前変更。本当は、それまでの記事をひとつひとつ、それに見合ったカテゴリに分けていきたいのですが、それをやろうとすると、新たなカテゴリを作らなければならず、しかもひとつひとつの記事を編集しなおす必要があるので、とても面倒です。なので、いまは名称を修正し、比較的最近に更新したもので、明らかにカテゴリがおかしいと思ったものを移動するに留めました。

整理しようとして、更新された記事を読み返しながらわかったことに、「文章が長い」というのがあります。なぜ僕のブログは、大した意味もなくだらだらと長文なのか。読み返して恥ずかしかったり、疲れたり。もっとコンパクトな更新を心がけたい。

実は、同じことを、このブログと同時進行で更新していた別ブログでも思い、「これからは短くします」と宣言までしていたのだが、これがなかなかうまくいかない。そちらのブログの方は、すでに更新もほとんどしておらず、たぶんもうすぐ消去してしまう運命でございます。ちなみに、SM 嗜好とはあまり関係のないブログなので、よっぽど興味がある方のみ、知りたければお訊ねください。

さて、文章が長いという話だ。

すでにこの更新も長くなってきている。
内容が濃くて長いのならいいのだが、ご覧になればわかるように、それほどのものではない。読み返すと、もっと簡潔にまとめられそうなものでも、延々と行を重ねていたりする。おかげで、最初に書いたようにカテゴリ整理などをしようとすると、自分でも確認作業が面倒になってしまう。よし、これからは簡潔な更新を心がけよう。

やはり、理想としては、一度手書きで作ってから、それをキーボード入力すれば良い。原稿用紙にして2枚程度であれば、読む方もすっきりと、手書きの手間もそれほど心配はない。文章や字の練習にもなるし、一石が何鳥にもなる妙案です。「手間もそれほどではない」と言いつつやっぱり面倒ではあるが、それと決めて始めてみれば、案外大したことはないかもしれない。明日からそれでいってみよう。

でも待てよ。いつもの雑文であればそれでもいいが、たまーに書く SM 論のようなものとか、アダルト要素の濃い内容は、原稿用紙に書くのも気恥ずかしいな。うーん、どうしようか。


それに、そういえばやっぱり、他の皆さんのブログなどを拝見していると、アダルトジャンルで SM 嗜好のブログでは、当然のことながら SM のことがきちんと書かれているんですよね。ご主人様との時間を繊細に書き上げていたり、SM に対する持論や理想、経験なんかをリアルに描いていたり、写真の更新も頻繁だったり。僕が一番最近に載せた写真はボールペンの写真だが、それでいいのか。

「この人は S 男性」という理解すら得られていない気もする。

実際、これもたまにではあるが、僕を女王様だと勘違いして調教依頼のメールをくれる M 男性がいるくらいだ。あえて繰り返し叫ぶほどの立派な動機でもないが、僕がサイトやブログをやっている最大の要因は、「M 女性の抱えている苦しみを少しでも楽にしてあげたい」的な善意の思想ではなく、「こんな素敵な S 男性がいるから、さぁ、こっちにおいでよ」的な我欲の表出である。
さすがに身も蓋もない言い方なので、少しばかりフォローしておくと、僕の欲求を満たすために、貴女の欲求を満たすことも必要であり、貴女のために僕ができることが少しはあって、それをしていくことが僕のためにもなるんだ、というのが事実とそう遠くない本音だと思う。

だから、もうちょっとちゃんと「この人は S 男性で、M 女性のことを愛していて、博識で温厚で知性があって理性的で絶妙に意地悪でたぶんイケメンで縄を使えて、私をドキドキさせてくれる人だ」という情報を伝えていけるブログにしていきたい。あと字の練習にハマっていて将来達筆になるということとか。

「」で区切った伝えたい内容のうち、いくつが本当のことなのか。いや、全部本当にしていくとも。


えーと、つまり、明日からなるべくコンパクトにすっきりと更新します。





[ 2013/05/27 23:27 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(5)

important × unnecessary

SM を実践していく上で、なにが一番大切なのかといえば、相手に対する信頼感なんだろうなと思いました。他にも、色々な要素はあると思いますが、それらもすべて、信頼感あってこその条件になってくるのだと思います。

SM という言葉に対するイメージは、一昔前に比べてかなりソフトなものになっていて、そういう中で、ちょっとした好奇心などから行為に及ぶ人も増えているでしょう。SM プレイに興ずるためのグッズも、ほとんどのものがお手軽に手に入るようになっています。恋人とそういったプレイを楽しむことは、割合的にどの程度なのかはわかりませんが、それほど特異なことでもないと思います。

それでも、SM のパートナーを見つけることは、単に恋人を作るのとは異質の難しさがあり、機会や場所も限られてきます。恋人に「目隠しをしてエッチしたい」「手錠を使ってみたい」といったことならリクエストできても、「ご主人様になりたい」「調教して欲しい」と頼むことは、次元が違うものだと思うので、本格的に SM 願望があり、それを満たしていくためには、やはりキーワード「 SM 」で検索をかけていくのが、踏み出しやすいはじめの一歩です。

そうして知り合った相手というのは、たいていの場合、オフラインの友人関係ではなく、匿名性の高いオンライン世界での知人として登場するわけで、彼なり彼女なりの言うことを、どこまで信用していいのか、冷静に見極めていく必要があります。といっても、それもなかなか難しい。世代間による意識の差はあるかもしれませんが、やはり実生活で知り合った人と、オンラインの SM 検索で知り合った相手とでは、緊張感を含めて様々な印象の違いがあるものでしょう。

けれど、SM というものを堪能していくのなら、相手に対する信頼感は絶対に必要です。
ごく当たり前の人間関係においても、それは必要でしかるべきものですが、SM の場合は、事件や事故に繋がるファクターも通常より多く散りばめられているので、より慎重な姿勢も求められるわけです。慎重であることは悪いことではなく、しかし、言い換えれば「疑い深く」ならなければいけないということなので、そのベクトルを信頼感に向けていくのは、想像以上にややこしかったりします。疑いを捨ててはいけない、信じなければいけない。しなければいけない、というくくりでいくと完全に矛盾してしまいそうな問題を解決するには、別角度からの解釈も必要となるでしょう。

もっとカラッと、サラッと、シンプルに出会って遊んで楽しめばいいじゃん、という立場もアリで、SM 関係の出会い系サイトなどで募集をかけている人の大半は、その範疇に入ると思います。ところが、それより少し踏み込んだ SM を覗いてみたい人ほど、さっき書いたようなややこしい問題を放り投げずに受け止めるものなので、真剣な人ほど欲する相手に巡り合いにくいという、歯痒い状態になりやすいですね。

安易に信じれば傷つき、どこまでも疑えば SM は成り立たない。
線引きをどこでするのか、そもそも線引きなんて単語を使っているうちは全然ダメで、自分の感性を育て、相手を選ぶときの直観力を身に着けるしかないのかもしれません。そんな自分になるためには、ある程度の経験も必要だろうし、別に SM に限らずとも、周囲の人との幸運な関わりも必要。そのほか、自分を磨いていく際の武器やきっかけとなる物事はいくらでも溢れているから、最終的に大切なのは、磨いていこうという気持ちでしょうか。


以前、知り合いのある女性に「もしあなたが結婚するとしたら、その家庭の中で何を一番大切にしていきたい?」を聞かれたことがあります。僕がその人と結婚するという話ではなく、結婚というものに関する話をしていて、その中で出てきた質問ですが。僕は、少し考えたあとで「自分かな」と答えを絞り出しました。「なにそれ、最悪だね~」みたいなことを言われたんですけど、僕としては「自分」という言葉の中に、凝縮した様々なものを詰めて答えたつもりだったんですよね。

どこまでいっても、「俺が、私が」の自己主張の塊な人も困るけど、どこかに自分を持っていないと、相手をきちんと見ることもできず、結果、信頼感は生まれない。「恋は盲目」の盲目は可愛げがありますが、いかがわしい新興宗教の信者が教祖に抱くような感情は、信頼感とは違うと僕は思います。

必要なのは信頼。そのために相手を見る目。そのために自分自身。そのために、と続くので、だから言葉は重たいんだよなとまた思う。本心を言いながら同時に嘘もついているようなストレスに蝕まれて、そういうときとても、意地悪くもなる。もう面倒な理屈はいいから、脱がせて舐めろと告げたくなる。大変そうでややこしくても単純なんだ。そうしたいだろ、そうさせたいよ。だから ブンッ



と、あーしてこーして笑いたいのです。

[ 2013/05/25 22:24 ] SM and Sex | TB(0) | CM(2)

I = I

ブログにしろサイトにしろ、自分の言葉で思うことを書こうとするとき、無意識のうちに、見栄やプライドのようなものが滲んでしまい、ありのままの自分を晒すことができません。見てくれの良い言葉だけを並べ立てようとする自分を意識すると、とてもストレスが溜まります。

主張できる範囲での主張を書いているに過ぎず、表現できることは僕自身の中の一部だけであり、そうした自分に嫌悪感を抱くこともあれば、それも自分と納得しようともする。


何かをしたくなるまで、ずっと眠ったり
寝転がったりしていたいなと、ときどき思います。

その場には、
美しくてくつろぎの妨げにならない美女が一緒にいて、
触れ合うこともなく同じように転がっている。
あるいは、彼女は僕を眺めていてもいいし、僕も彼女を眺めてもいい。
反対に、まるで視界に入らず、それぞれが別のことをしていてもかまわない。

長い時間そうしていれば、僕はトイレにも行く。
最短ルートを歩むとき、途中に彼女がいれば、踏んで行き、踏まれて彼女はイク。
喉が渇けば飲料を欲し、言葉を使う間もなく飲みたいものが差しだされる。
僕はそれを受け取り、飲み、適度なところでカップから手を放し、彼女はそれを受け止める。
こぼせば拭く。

まどろんで眠り、目が覚めて勃起して、彼女は口で処理をする。

何もせずに佇んでいるだけでも思考の移ろいに応じて芽生える喜怒哀楽を、
その都度なにかにぶつける。

そんな風に一日、二日と過ごしているうちに、どうしてもやりたいことってなんだろう。
選んで実行していることはなんだろう。


などとわがままで傲慢で社会不適応な時間を思い描きながら、
それでも、社会適応な自分であることの面倒くささに溜息をつく。

やっぱり、ハダカで生まれてくるから、ハダカになりたいんだろうと思う。
みんなそうだと思います。

そして、実感したい。自分は自分でいいのだと。


[ 2013/05/23 23:06 ] SM and Sex | TB(0) | CM(3)

課題はどうやって。

本当に久しぶりに、サイトの「羞恥課題」を更新しました。
週に1度のペースで更新できればと考えていましたが、最近はなかなかできず。
自分の中で、まぁいまはこれくらいでいいかなという甘えもあり、更新の手が遠のいていましたが、このままストップするのもどうかと思い、作ってみました。一度やり始めると楽しさもあり、続けて更新したりするので、しばらくは頻繁に追加していくかもしれません。

「そういう課題はどうやって思いつくのか?」という質問をされて、意外にも聞かれたことがない質問だったもので、答えるのに戸惑いました。そのときは、そのときなりの答えを返しましたが、改めて考えてみようかと思います。

僕が、サイトに載せる課題としてまず重要視しているのは「実行可能であること」です。調教に関する課題が置いてあるサイトは、僕のサイト以外にも無数に存在しますし、それだけの数あれば、似たり寄ったりの内容もあるとは思います。あまり、そういったサイトを参考にすることはないのですが、たまに覗いてみたりすると、中には「これ、さすがに実行できないだろ」というようなものもあります。パートナーがいれば、ある程度のことまでは、パートナーを信頼して、任せて、実行することができるかもしれません。でも、サイトを読んで課題を実行する相手は、一人でドキドキしながら実行することをイメージしているので、一人ではできないだろうなという課題は載せません。恥ずかしいという感情は別にして、危険ではないかということ。それを第一に考えます。

その上で、どういうシチュエーションであれば、M女性がドキドキするのか、興奮するのかということを想像します。できるだけリアリティを重視し、非現実的なものは避けます。というよりも、そういう課題は思い浮かばないんですよね。

もちろん、世の中は広いので、僕が読んで「これはできないでしょ」という課題を、果敢に実行して興奮を得る女性もいるんだとは思います。だから、羞恥課題に置いてある課題は、僕との相性チェックも兼ねているのかもしれません。ドキドキしたなら、少なくともそういった嗜好において、僕と話は合うと思いますから。

あなたは課題を読み、興味を持ち、恥ずかしながらも実行して、興奮をする。自分の中の恥ずかしい願望を自覚し、羞恥を感じて熱くなり、オナニーをする。

そういうあなたを想像するだけでも、僕はけっこう満足します。

だからできれば、課題実行報告のフォームメールは送ってくれると嬉しいですね。
課題のページから行けるようになっているので。
不安もあるかもしれませんが、自分でメアドを入力しない限り、あのフォームメールからメールをくれても、僕に連絡先が知られることはありません。体験依頼のメールであれば、メアドは必須だし、なければ返事ができない。そりゃ、欲を言えば、報告メールにもメアドを入れてくれた方が、返事も出せるしありがたいのですが、それは不安だったり恥ずかしいという気持ちがあるのなら、匿名でも大丈夫ですから。

僕の経験上、一度自覚した M 性は、完全に消し去ることはできません。
1年、5年、10年目を背けていても、いつか意識するときは来るし、あとになるほど憧れは強まります。それでも目を背け、自分を納得・妥協させて過ごすことはできるし、そうしている人も何人も知ってはいますが、もしあなたが踏み出せる位置にいるのなら、少しずつでも勇気を出して、覗こうとするのは悪いことではないと思います。相手は、慎重に選ばなければいけない。相手を選ぶところまでイメージできなければ、調教課題が置いてあるサイトなどの課題を選んでやってみる。それも恥ずかしければ、やっている自分を想像してみる。

M 性を持っていることで、自己嫌悪を感じたり、それ自体を恥ずかしいこととして清くあろうと無理をする女性はたくさんいます。M 願望があることは悪いことではないし、恥ずかしくもない。僕は S 男性だと思いますが、自分のその感情を恥ずかしいことだとは思いません。


話が逸れてしまいましたが、課題を作るときに意識するのは、そんなところでしょうか。
実行可能かどうか、それをやってその女性がドキドキするかどうか。
羞恥課題に置く課題は、特定の誰かを想定して作ってはいないので、ある程度一般的な環境・状況でやれるかどうか。そういうところですね。

よし、更新頑張ろう。

[ 2013/05/23 01:22 ] SM and Sex | TB(0) | CM(2)

予告

女性が「イク」ときの喜びを、「女に生まれてきた喜び」といった表現で教えてくれる人は多く、理屈抜きでそういうものなんだろうなと、若干の嫉妬心さえ抱きながら感心します。射精するとき、男に生まれてきた喜びまでは感じないので。

それだけ、女性がイクというのはハードルも高く、その感覚がわからないという女性もたくさんいます。どういう感覚かを言葉で説明はできないけれど、味わってもらうのは手伝えることでもあり、その場面を見ていると、僕自身も非常な満足感を覚えたりする。女性がイクときの姿は、とても美しいです。

ただ、語弊を恐れずに言うなら、女に生まれてきた喜び、というのは偏った意見であり、ようするに、生まれてきた喜び、ってことなんだと思います。同一のものかどうかは誰にもわからないとしても、ほぼ同質の幸福感を、男性も性行為によって味わえるんだろうとは思いますし。そう思わないと悔しいしね。

なぜ性行為が「気持ちいい」のか、「満たされる」のかといえば、以前にもどこかで言ったかもしれませんが、五感をすべて使うからだろう、というのが僕の認識です。そういう考え方を、僕よりもっと有識な人が言っていた気もするし、言われてみれば、なるほどとすんなり納得できるものでした。

では、一般に言う性行為のみでは満たされない人が SM で満たされるのなら、その要因も五感に関係しているのかもしれません。五感を使うことは同じでも、その刺激のされ方に「癖」があり、SM によってしかその癖をまとめられない。そういう人もいると思うのです。

視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。
より詳しく分類しようとすると、さらに十数種類の感覚を人は有しているらしく、僕は詳しくは知りませんが、そういう感覚をフルに使うことって、なかなかないんでしょうね。

綺麗な花を見て嬉しく思う。心地よい歌声に癒される。柔らかい感触に安心する。美味しい食べ物に舌鼓を打つ。好みの香水で心が落ち着く。そんな感じで、五感を刺激することで得られる幸福感は、簡単に想像することができます。そのすべてを同時に満たすための方法が、セックスであり、SM でもあるんでしょう。足し算よりは掛け算に近いと思うので、ただ綺麗なものを見たときの5乗はハッピーなわけで、それは凄いだろうな。

そういうとてつもない大きさの幸福感を、定期的に半永久的に求めようとする、生き物の強欲さも凄い。生きていることの可能性は、絶対に想像以上、まるで思い描けない宇宙の果てと遜色ないくらいに、広いものなんだろうと思います。

そういう可能性というか、力というか、そんなものの大きさを垣間見ることができるのが、イクという瞬間なんでしょうね。


だらだら書いてしまいましたが、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚をそれぞれテーマにして、5本ばかし SM チックなショートストーリーを書いてみようと思いました。字を書きたいからペンで書き、ブログやサイトで更新すると。なんだか SM サイトっぽくなってきたぞ。特に当てもなく思いついてしまったので、嗅覚の素晴らしさを表現するのは難しそうだなと早くも弱気になってみたりします。「これは無理、書けないや」と思ったら、このブログの記事自体をこっそり消すので、そこには触れずに、僕にやさしくお願いします。

[ 2013/05/21 23:32 ] SM and Sex | TB(0) | CM(0)

言うは易し


ペンクリニックの週末を終え、いまや月曜、いや、日付の上ではすでに21日の火曜日です。

実は、ペンクリニックに行った当日は、「思ったほど万年筆の調子は上がらないな」と思っていたのですが、時とともにぐんぐん向上。今日はかなり素晴らしい状態です。やっぱりさすがだな。

向上したのはいいけれど、贅沢にももう一品欲しくなっています。
僕はよく、M女性に「我慢しなさい」とか「耐えなさい」とか言ってるけど、我慢ってつらいな…


さてさて、非常に短い更新ですが、本日はこれにて。

明日の朝、早起きをして出勤前に万年筆を買いにいくかもしれないので健康のためにさっさと眠ることにします。

おやすみなさいませ。

[ 2013/05/21 01:06 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(2)

手に職、尊敬

予告通り、ペンクリニックに行って参りました。

遠足の前日に眠れない少年のようでお恥ずかしいのですが、一睡もすることなく朝を迎え、やや重い頭を抱えながら到着すると、開催されていた書店はごく小さな店舗で、ちょっと驚きました。このところよく利用する、というか覗きに行く文房具店に比べると、万年筆の陳列スペースは10分の1程度であり、扱っている商品もごく限られたメーカーのものでした。内心、予想と違うなと思いながらも、しかし、職人さんの前に座って万年筆を渡したときは、ただそれだけで来てよかったなぁと感動。さすがに徹夜だったもので、頭の働きが鈍く、職人さんとの会話に集中しきれなかった点が少々残念です。近場で開催されることがあれば、また行ってリベンジしてきたいです。

肝心のペンの調子は、そもそも、僕は本当にズブの素人なもので、自分の万年筆に異常があるのかどうかもわからない。なので、この状態は正常なのかどうかを確認してもらうことに。なにやら小型の顕微鏡のようなレンズでペン先を覗きこみ、すぐに顔を上げた職人さんは、やはり異常が発生していることと、その異常を説明しながら、なんでもないことのようにあっという間に修正までしてくれました。何かを極めている人はカッコ良いです。

おかげで、いまはすこぶる快調。
使い始めて間もなかったので、指摘された異常以外は特に問題がないということ。
もう少し使い込んだ方が、自分の癖を覚えたペンになるということだったので、細かい調整はせずにおきました。

上に書いたように、商品の数は少なかったので、心配していた衝動買いもずいぶん抑えられました。まぁつまりいくつか買ったんですけどね。万年筆ではなく、インクやらメンテナンスキッドをぞろぞろと。

明日は日曜だし、ゆっくりとインクの色合いを楽しみながら、気の向くままに文章でも書いて過ごそうかと思います。

[ 2013/05/19 01:48 ] 文房具など | TB(0) | CM(6)

書くとき縛るとき。

日付は18日となっています。

18日の土曜日といえば、そう、ついにペンクリニックの日だ!

僕は普段、出勤が午後からで良いという偉そうな生活スタイルで、たまに午前中から出勤になると、ブーブー文句を言ったりする愚か者なわけですが、明日は早起きするよ、一言も文句を言わずに。自分の万年筆を見てもらうのも楽しみだし、おそらくは豊富に並んでいるであろう色々な万年筆、ボールペン、インクやら紙やらを眺めてくるのも楽しみです。不意の出費が怖い怖い。

完全に文房具好きのブログになってますけど、明日の更新はきっと、ペンクリニックデビューの話題で持ち切り。「やっぱり買っちゃいました」的な懺悔がないことを祈ります。


いや、SM のことだって考えているんですよ。
不思議なもので、字を綺麗に書きたいとか、そのために練習をしたり、派生して普段書く文章自体も深く考えて書くようになったり、そういう風に何かに対する自分の感性を磨こうとするとき、連動して SM に対する感性も研ぎ澄まされていくのがわかります。今の自分は、理想には程遠く及ばないけれど、でも理想とする SM の形、人間関係の形が見えてきた気がします。あまり書くと、何様だと思われそうなので割愛しますけど。


字にしても文にしても SM にしても、自分自身というものが、理想通りになるには足りないものが多く、口惜しいし楽しみにもなる。歪な自分を美しく。そうなれば本当は、万年筆も縄も不要だ。

[ 2013/05/18 00:23 ] 文房具など | TB(0) | CM(0)

てきとうを分けてあげたい


夕方から土砂降りで、梅雨の到来を予感させる一日でした。空気も、早くも湿度が高い、特有の気配を漂わせております。

立て続けに二人、いわゆる5月病を患っている人に会い、話を聞きました。僕なんかいつでも怠けたいけど、彼らはとても真面目で、だからこその5月病っていう印象でした。なんとか元気づけようと思ったものの、親切の押し売りになるかどうかは受け取り手次第でもあり、言葉を選びながら笑顔を誘い出すのに一苦労でした。時と場合によるけど、てきとうって良い言葉だなと思いますね。

もうすぐ車検です。
2年に1度とは思えない速さでやってきたな。
ついこないだやったような気がしたが。いまの車もだいぶ乗ったし、そろそろ買い替え時なのかなと思います。最近、若い人はあまり車に魅力を感じない、という傾向にあるようですが、魅力とかそういうことじゃなく、あった方が便利なのは間違いないと思うんですけどね。世代間における優先順位のギャップというのは面白く、少し前、10代、20代、30代、40代、50代と、それぞれの世代が参加した飲み会で、話しの噛みあわないことといったらありませんでした。自分たちにとっては当たり前のことが異端扱いされるわけで、延々と続く座談会。僕は、普段からほとんど飲酒をしないもので、大勢でする飲み会というのがそれほど好きではありません。周りが酔い、話も混乱を深めていく中で、早く帰って字を書きたいなぁなどと思ってました。

そうそう、車検でして。
そのときは代車を出してもらえます。
僕は、その代車っていうのがけっこう好きで、代車だから内装もなにも、たいしたものではないんだけど、なんだか得をした気分になるんですよ。いつもと違った車に乗れるのも単純に楽しいし。今度はどんな代車かな。どうせガソリンは満タン返しだし、好きなように乗り回してやろうと思います。

[ 2013/05/16 23:16 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

あい

僕が、インターネットを通して、そして SM を通して、初めて女性と知り合ったのは、もう10年以上前のことで、その一番最初の子のことを、たまに思い出したりします。

知り合ったときの彼女のハンドルネームは「あい」で、最後まで、彼女のことはそう呼んでいました。当時は自分のサイトを作っていたわけではなく、いまはなくなってしまったあるサイトのチャットを通して知り合いました。知り合ったといっても、メールのやりとりやチャット、ごくたまに電話をするだけの関係で、会うことはなかったのですが。一番最初の知り合いということで、印象には残っています。

やりとりは1年くらいは続いたと思います。どちらからともなく音信不通となり、当然いまでは連絡先もわかりません。どうしているのかなぁ。あれから10年以上が経って、お互いにずいぶん変わっているでしょう。たしか千葉に住んでいる子でしたね。年上の彼氏がいて、別れるかどうか悩んでいた。当時はまだ、携帯で写真をとるということが実用的でもなく、デジタルカメラを使って撮影した顔写真を送ってもらったような。その顔も、もはやおぼろげにしか覚えていません。どこかですれ違っても絶対にわからないし、たまたまネット上で、その彼女がこのブログを読んでも、自分のことだとは気づけない可能性が高い。

でも、いつかどこかで、また接点を持つことがあれば、楽しいだろうな。

10年前、15年前、20年前、自分の過去が増えていきます。
そのときの僕を知る誰かが、いまの僕を見てどう思うのか。


想像するのは怖いし楽しい。


我こそは「あい」という人はぜひご連絡を~

[ 2013/05/15 23:02 ] SM and Sex | TB(0) | CM(0)

誰かが僕を幸せにする。


さぁ、文房具の話だ。

万年筆というのは、一般に認知されている以上に繊細な工芸品であり、素人が下手に弄るとあっという間に再起不能になります。僕は、万年筆というもの自体、使い始めて数か月のズブの素人なので、いま自分が使っているものが、調子が良いのか悪いのかさえ判断できない具合です。

でも、やっぱりなにかおかしい気がする。
何人かの知人にも尋ねてみて、致命的とは言わないまでも、絶好調には程遠い状態なのが、いま使っている万年筆の現状だとわかってきました。そういうことはよくあるようで、同じ品であっても個体差があり、当たり外れもあるという。そんなところもまた良いんですね。

不調なら修理しなくちゃということで、万年筆の修理は試みるも、恐ろしくてなにも弄ることができずに断念。調べてみると、ペンクリニックなるイベントが不定期に全国各地で行われているらしく、そこに持ち込めば、職人さんが目の前で手入れをしてくれるとのこと。行きたい。

それで、近場でいつペンクリニックが開催されるか調べてみました。色々なメーカーや団体が行っているのですが、それでも全国各地で催されるとなると、自分の家から近距離で開催されるのはいつのことやら…と思っていたら、なんと次の土曜日に、電車を使えば30分もかからない場所で開催するとの情報を入手。なんて素敵なタイミングなんだ。これはもう行くしかない。よし、行こう。

ペンクリニックの日程は、公表しているメーカーもあれば、ゲリラ的に実施する場合もあるようで、開催される書店などの店員さんと仲良くなるとか、自分でメーカーに電話をしてチェックするくらいしか知る術がありません。いや、あるのかもしれないけど、僕にはわかりません。そこで、思い切ってメーカーに電話して教えてもらいました。近場ですぐに実施されるというハッピーな情報もありましたが、それ以上に嬉しかったのは、電話の応対の素晴らしさ。非常に丁寧に相手をしてくれて、不明な点などは一度電話を置いてから調べてかけ直してくれました。最近、電話の応答に感心することが多いな。なんだか、そういうことが続くと、自分自身の運気すら上昇している気持ちになって心地よいです。

万年筆を使うのが、さらに楽しみになりました。
実際、ペンクリニックに行った人の体験談などを読むと、劇的に快適さが向上するとのこと。
怖いのは、あまりの嬉しさに我を失い、その場でまた万年筆を衝動買いしてしまうのではないかという点ですね。我慢できるかどうか…。

[ 2013/05/14 22:41 ] 文房具など | TB(0) | CM(6)

いく

価値観は多様で、物事は多面体であり、多角度から見て判断していくことも大切であると、強く実感したのは高校生の頃でした。以来、見たり聞いたりすることのほとんどを、様々な角度から眺めようと努めて、おかげでわかりやすい主義主張を持てなくなったりもしています。激怒することはない。その代わり、狂喜することもない。社会生活において、多くの場合で、そういう姿勢は便利です。でも、社会と切り離して個人的なことを言うなら、激怒も狂喜もできない人生なんて、ひどく退屈なもののような気もします。

前回更新の続き、というか補足というか、SM に携わる人の傾向として、物事を多角度から見ることに秀でている人が多い気がします。そのぶん、周囲の人には疎まれることも少なく、普段の生活は無難にこなしていたりする。でも、それは周りから見ての無難であって、本人からすると、ものたりなかったり虚しかったり。悲しいとか腹が立つとかであれば、まだ自分の中で対応も取りやすいのに、虚しいという感情を埋めようとするのは、想像以上に難題だったりしますね。これも、S でも M でも共通している特徴のような。

だから僕も、虚しさを感じるときが多々あります。
ありのままの自分でいられる瞬間というのは、存在すら疑わしいほど希少であり、貴重なものです。部屋で一人で寝ているときはありのままだけど、人は弱いので、一人では満足したり安心できない。誰かがいる、かつ、ありのままである。そういう自分でいられる時間のために、僕が選んだり望んだりすることは、一般的にはサディスティックなことであり、それで自分を S だなと認識しています。


SM のありよう、人間関係のありようも、実に多彩、というよりも無限に等しく、しかも時とともにどんどん複雑になっていくようで、多角度であろうとする気持ちでも、「なぜ?」と理解できない趣味嗜好も存在します。けれどそれは、僕の嗜好を理解できない人がいるのと同じことで、自然なことなんでしょうね。


他人を意識せずありのまま、強欲に傲慢に、怠惰に感覚的に。イッテシマオウ

と思います。

[ 2013/05/13 22:46 ] SM and Sex | TB(0) | CM(2)

疼けば素敵

人の想像力はオーバーではなく無限の可能性を秘めていて、それを用いてできることには数限りないバリエーションがあります。SM においても、想像力は重要なファクターだと考えているので、自分自身の想像力を磨いたり、相手のそれを養ったりしていくことは、よりよいS男性になるためには必須の努力です。

SM に対して、何をきっかけに興味を持つのかは人それぞれで、SM に対するスタンスもまた同じですね。あくまで僕の感想として、SM に傾倒する人というのは、結局のところ不器用なんだと思います。補って言えば、不器用なところを持っている、というか。

そういう言い方をするなら、不器用な面が皆無の人はいないので、極論はいつも「みんな同じでみんな異なっている」ということになります。みんなが異なっているのは当然でも、ひとつの側面にスポットを当ててグループ分けをすることは可能ですね。

たとえば、人間には2種類いて、男と女である。コーヒーが好きな人と嫌いな人である。泳げる人と泳げない人である。などなど。話題にする場面に応じたグループ分けで、そのときに話す内容に一定の信ぴょう性を持たせていくこともよくあることです。

それで、ここでいう不器用な人とそうではない人、というのは、自分の欲求を器用にこなせる人と、そうではない人がいて、SM を好む人は、そういう意味では不器用な人が多い、ということです。

だいたい、人は、自分がやりたいことを選択して生きているもので、常に目の前にあるいくつかの選択肢の中から、自然と一番やりたいことを選んでいるものです。「やりたい」を身も蓋もなく言いかえれば、「自分にとって得になる」といったところでしょうか。二日酔いで目が覚めて、出勤したくない。行くか休むか。客観的な判断はともかく、自分にとって、行く方が得だと判断すればそうするし、休んだ方が得だと思えばそうする。休みたかったけど無理して出てきたよ、というケースでも、結局は休みたくてたまらないけど行ったほうが得だよな、と判断しているんだと思います。得、つまり自分のためになると。

そうして自分の判断に沿うことは、ストレスを軽減させるでしょう。

1と2からどちらかを選ぶというシチュエーションを考えてみます。

AさんもBさんも、1を選ぶのが自分にとって正解だと知っている。自分自身にとっても対外的にも、1を選ぶ方が良いのだとわかっている。でも、2を選ぶ方が楽そうだったり、楽しそうだったり、波風が立たなそうだったりと、判断を迷わすような装飾が色々と施されていると。それでも、1を選ぶのが良いと二人ともわかっている。

器用な人は、迷った挙句に1を選び、それによって得たメリットを喜び、また2を選ばなかったことで手に入らなかった要素を悲しみます。不器用な人は、迷った挙句に2を選ぶ。そして、2を選んだことが正解だったんだとつじつま合わせをしようとします。でも、芯ではちゃんと、1が正解だとわかっているから、2を選んだことによるメリットを喜びきれないし、1を選ばなかったことをどこか引きずっていきます。

1か2か。それは、時に目に入らないような小さな選択であったり、たまには人生を左右するような大きな選択のときもあるでしょう。そういう選択の繰り返しの中で、2を選ぶ頻度が比較的多い人は、不器用だと思うし、そういう不器用さを抱えている人が、SM に惹かれる傾向も強いかなと、僕はそんな印象を持っています。もちろん、それは S か M かに関係なく。

どちらかというと結論ありきの話題で、感覚を言葉で説明しようとしたのでぐだぐだとわかりにくい内容になりました。ニュアンスが伝わってくれると嬉しいのですが。あくまでも傾向が強いという印象で、例外はいつも存在し、断定もできません。

長所も短所も表裏一体で、いま言った不器用さは、裏返せれば長所にもなると思います。そういった不器用さを抱えた人というのは、SM という価値観や世界観の中で、その不器用さを長所に変え、自分の存在価値を自分の中で高めていくことができ、自信を持っていくことができるような。だからなんだと言われればそれまでの話でして…。

つまりまぁ、僕も不器用だしあなたも不器用なのかもしれないし、一緒にドキドキして、大声を出したり力を振り絞ったり、筋肉痛になるまで調教されたり、泥のように眠れるまで自分を出し切っちゃえたら嬉しいねと。

裸のあなたをいま想うから、そう想われていると思って、疼けば素敵。

[ 2013/05/11 22:27 ] SM and Sex | TB(0) | CM(2)

権利と同時に義務も見よう


仕事上のトラブルがあり、クレームの電話を何本かしました。

普段、クレームを言うということがないので、正直言ってあまり気は進まなかったのですが、やむをえない状況だったので、言うべきことを伝えるようにしました。

おそらく、クレーム処理の専門部署に電話を回してもらい、そこの担当者と話をすることに。

やっぱり、その道の専門家というのはいるもので、話を聞くのがうまいですね。
こちらの言ったことに対する返答も、不快にはならない程度にスピーディーで、これ以上に印象を悪くしないように懸命だという印象を受けました。ただ、あまりにも洗練されているため、かえって人間味に欠け、本心は別のところにあるんだろうなと感じてしまう。苦情とは言っても、その担当者個人への苦情ではないわけだし、あそこまでの徹底ぶりは、かえって逆効果ではないかと思ったりもしました。苦情を言う側の人が、どういうタイプの人にもよるんでしょうけど。

そんなこんなで、いまネットを開いてみたら、ヤフーのトップページにある「みんなのアンテナ」のトピックスに、あまりにも常識知らずなお客に注意して、しかも店を追い出したというファミレス店員さんの話が載っていて、読んで非常にすっきりとした気持ちに。店内を駆け回り、他のお客のテーブルに行って「それちょうだい」とか繰り返し言う子供と、それをまったく注意しない保護者。他のお客からのクレームもあり、店員が注意をしたところ、その保護者が逆ギレを起こしたそうで、しばらくのやりとりのあと、「あなたたちのようなお客に食べさせるものはない、出ていけ」一喝したそうです。

その場にいた他のお客も含めて、投稿していた人も、その店員の行動に賛辞を送っていたので、きっとよほど迷惑な親子連れだったのでしょう。僕も、そういう注意をできる店員さんは偉いと思うし、追い出したことについても英断だろうと思います。現場に居合わせたわけではありませんが、追い出されてしかるべきお客は、今までの人生の中でも何度も見ていますし。

やはり、他のお客の迷惑になる行為というのは、退店を促すだけの材料になると思います。憲法が保障する基本的人権ですら、公共の福祉のためには制限されるわけですから。

日本は少子高齢社会に足を踏み入れ、国を構成する国民の年齢層、その国民たちがしてきた経験も、これまでとはどんどん変わってゆきます。変化が進化であれば良いけど、退化では困る。客観的な善悪の判断なんて、できる人は限られてしまうだろうけど、少なくとも人に迷惑をかける行為は、慎んでいこうとする誇りが欲しいですね。


今日、僕がつけたクレームは、言いがかりではなく明らかに向こう側に落ち度があるものでしたが、そのとき電話の応対した人も、完全な言いがかりに対する処理もしたことがあるでしょう。そういうときの対応を覗き見してみたいなと思ってしまいました。どんな風に対応して、収めていくのか。彼であれば、そのファミレスでのケースはどう裁くのか。

僕であれば、やっぱり同じようにするかな。お客様は神様だとはひとつの真理。でも、お金を出すだけがお客様になるための条件ではないでしょう。買う買わないが自由なら、売る売らないも自由でいいと思うし。

なにかを考えることは、どんなことでも奥深くなっていけて、頭を使う実感は嬉しいけど、答えが出せないことばかりで、ちょいと虚しい。

[ 2013/05/10 23:46 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(2)

ミステイク


ご多分に漏れず、僕も LINE を利用しています。

とても便利ですけど、便利すぎるというか、それでいてフリーアプリですから、たまに動作が不安定でも責任は自分で負わなければならず、仕事絡みの連絡などには適さないですね。

メモリダイヤルに登録されている相手が LINE を利用している場合、特に設定をしていない状態であれば、勝手にともだちリストに名前が載りますよね。あれは、どういう基準で載るのか、いまいちよくわかりません。自分が登録している相手が加わるのはわかるんですが、そうではない場合、相手が登録してくれているということでしょうか。

どのメモリダイヤルに反応して載ったのかも、厳密には自分で判断する必要があるので、先入観から勘違いをしてしまい、トークのときに人違いがわかって赤っ恥をかいたことが何回かあります。

名前だけを見て、勝手に相手が誰かを判断して、話しかけてみたら別人だった。単に人違いであれば、間違い電話のようなもので、尾を引くような問題にはならないでしょう。でも、SM 関係の知り合いかなと思って話しかけたら、全然無関係の仕事先の関係者だったりしたら、それはもう気まずくてたまらないですよね。幸い、そういう種類の間違いはしていませんが、似たようなケースならありました。

もう10年以上も前に、いまのサイトとは違い、ごく普通のテキストサイトを作っていたとき、リンクしていたサイトのひとつに「りさっちルーム」というのがありました。そこの管理人さんの名前で、LINE の友達リストに名前が出現したので、てっきり、僕の連絡先をずっと覚えていてくれて、最近 LINE を使い始めたのかなと思って、「りさっちルームの○○さんですか?久しぶりです」なんて感じで話しかけたんですね。そうしたら、相手は仕事関係の方で、この数年を振り返ってもナンバー1というくらいの恥ずかしさを味わいました。よりにもよって「りさっちルームの…」なんて尋ね方をしたもので、「りさっちルームって?」と思われたに違いないです。なんか、もしかしてエッチなお店かなんか…?みたいな。「いや、違うんだ。そうじゃなくて、そういうホームページが昔あったんだよ。違うの、僕そうじゃなくて、違うんだ、言い訳じゃなくてそういうサイトがね…」と、もし目の前に相手がいたら、しどろもどろに慌てながら弁解したこと請け合い。いやぁ、恥ずかしかった。

それに懲りて以来、新しくともだちに加わった人が、本当に自分が思っている相手なのかどうか、しっかり確かめるようになりました。もちろん、話す必要がある場合にはです。さらに、僕はいまスマホを2台使っているので、仕事用とプライベートのアカウントを作って、混乱が起きないようにしています。そこまでする時点で、すでに便利さ以上に振り回されている感もありますが。

すでに同じ種類のサービスもたくさん提供されているし、これから先、またそれ以上に便利なコミュニケーションツールも開発されるかもしれない。情報社会はいまだに加速を続けていそうで、守るべき情報がなんなのかもあやふやになりつつありますね。立ち止まって考えてみれば、この加速は恐ろしいことばかりです。今回の僕の失敗談は、単なる笑い話で済ませられるけど、それこそ命取りになるようなやりとりや行き違いだって発生する可能性はありますし、LINE を含めたそういうツールを介しての犯罪も日常茶飯事で起こっています。生活は便利になっていくけど、生きていくのにやりにくい世界になっている印象。あんまり便利になりすぎたら、マトリックスみたいなことが現実に起こりそうで心配です。

SM のこと考えて、エッチな妄想して、万年筆のサイト見て、字の練習をして文章を書いて、穏やかな気持ちでおやすみしよう…。


* ちなみに、このブログを書くにあたり、りさっちルームが現存するかどうか検索して調べましたけど、同名の別サイトはあっても、当時の僕が知っていたサイトはありませんでしたので、あしからず、お願いいたします。



[ 2013/05/09 23:05 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

道具は使うものではなくて。

連休中に更新を怠けたのと、いま現在時間があるのとで、調子に乗って本日2回目の更新。
しかし何を。

これでもかと主張する、最近のマイ「書く」ブーム。
忙しかろうと眠かろうと、一日に必ず時間を作ってます。
他にしてもよさそうなこともあるだろうに…。
でも、他にしてもよさそうなことは、しなくてもよさそうなことだったりもするんだよな。
だったら書くね、俺様は。

favercas.jpg

書くという行為は、紙と鉛筆があればいつでもどこでも楽しめるものですが、そこはほら、煩悩に満ち溢れる僕のこと、続けているうちに、なんだか良い筆記具が欲しくなってしまいます。そもそも、書くという行為にハマったきっかけのひとつが、万年筆がカッコ良すぎるということですから。

それで、この数週間、つい色々な筆記具に手を出してしまいます。
万年筆では、一本数万円という価格設定はザラであり、高級なボールペンもそれにヒケを取らないような価格のものがいっぱいあります。ごくごく最近になって興味を持ち始めたため、それほど多くのものを持っているわけでもないし、いまはどちらかというと「弘法筆を選ばず」の言葉に則り、練習は主に使い捨てのボールペンを利用しているのですが、モチベーションの維持も兼ねて、文房具屋に行っては美しい筆記具を眺めたり、抑えきれずに購入しちゃったりもしています。

写真は FAVER-CASTELL というブランドのボールペン。
これからたまに、気に入った筆記具や、その周辺グッズなどを載せていこうかと。
カテゴリにまで「筆記具」を追加し、この後も続ける気まんまん。
もはや SM のブログなのか文房具のブログなのかわからない。
いや、これは SM と文房具のブログなんですよ、きっと。あと僕の日記の。

このボールペン、実は何年も前に頂いたもので、何を隠そう、サイトを通じて知り合った方からのプレゼントです。当時はまだ、ボールペンや万年筆に興味はなく、日常で使う筆記用具といえばシャープペンシルが一番だったので、しばらくは観賞用として、たまに大事な書類にサインするときなどに使っていました。最近のマイブームの中で、このボールペンをもっと活用したいと思い、いまはしょっちゅう使っています。なんというか、デザインが素敵すぎて、愛着が湧いています。

最初は太字の芯で、だからサインなんかに使うことが多かったけど、日常で頻繁に使いたくなって替え芯を探しました。探せばあっという間に、元のものよりも細めの芯が見つかり、それを購入して普段の書き物に利用しています。「普段の書き物」とかいうとカッコいいけど、ようするにただの雑記なんですけど。

しかしこのフォルム、質感、とにかく美しい。
万年筆に勝るとも劣らない、お気に入りの一本です。

個人的には、鉛筆で字を書いたり万年筆で書くときに比べて、ボールペンで字を書くのは一番味気ないなと思っていましたけど、このボールペンは違います。軸が木でできているのも要因のひとつでしょうか。まだまだ使い込んで、良い味を出していきたいです。


たまに写真を載せればボールペン。
ふと思ったけど、SM の道具とかも載せればいいのか。
自分の趣味嗜好において必要な道具を、丁寧に手入れをしながら大切に使っていく姿勢は、傍から見ていて美しいものですよね。道具に頼るのではなく、一体化していけるように自然で真摯な姿勢。そういう気持ちを忘れずにいることで、裸の自分も魅力的になっていける気がします。


[ 2013/05/07 13:54 ] 文房具など | TB(0) | CM(3)

媚びではなく誇り。


僕は寿司が好きで、季節に関わらず、よく食べたくなります。

少し前まで、家の近所に美味しいお寿司屋さんがありました。
味に見合った値段がしたため、そう頻繁にというわけではありませんでしたが、数か月に一度の割合で行って、やっぱり100円寿司とは一味違うなと噛みしめていたものです。とはいえ、100円寿司も大好きですけど。

ところが、いつ頃からか、そのお店に行かなくなった。
なにがきっかけだったのか、はっきりとは覚えていません。
ただ漠然と、「あのお店の寿司が、以前ほど美味しくなくなった」という印象を持っていたのです。最後に行ったのはいつか覚えていないし、何かイヤな思い出が残っているわけでもない。本当に漠然とした印象です。

それまでに10年近くは「美味しい」と思って足を向けていたお店ですから、1度美味しくなかったからといって、その印象がそれほど強く残るとは思えません。最近の何回か、行って食べているうちに、自分の中で無意識に蓄積された印象が、無視できないほどに強くなっていたのでしょう。

先日、そのお店の前を通ったら、違うお店に変わっていました。
同じくそのお店を好きだと言っていた人に話を聞いてみると、2年ほど前に店主が変わり、それ以降、次第にネタが悪くなってきたような気がするとのこと。

実際にネタが悪くなっていたのかはわからないし、その差がわかるほど自分の舌が肥えていたとも思えません。でも、言われてみれば、従業員の接客にちょっとした不満を感じたことを思い出します。ひとつひとつは大したことではなく、今回、店主が変わったと聞くまではすっかり忘れていたような出来事。小さなことでも、言われて思い出すということは、僕の中であの店のイメージを作る上で、なにかしらの影響を与えていたのかもしれません。

食中毒があったとか、値段が大幅に上がったとか、そういうわかりやすい理由がなくても、客は離れていくんだなと納得しました。感じるか感じないか、はっきりそことは指摘できないほどの質の低下、それが味であれサービスであれ、そういうものが積み重なっていけば、相対的に見て金額には見合わないお店ということになっていき、自分の中での順位が下がっていきます。それが、個人の選り好みの範囲であれば、客が一人減るだけで済むのでしょうが、ある程度一般的に認められるような質の低下であれば、離れる人は多くなり、結果としてお店が成り立たなくなります。

わかりきった流れではあるけれど、新聞やニュースで見る大手企業の経営不振や倒産よりも、こうして身近に起こった事例の方が、身につまされて考えさせられます。

僕の仕事も、いわゆる客商売の範疇になります。というか、仕事ってたいていは客商売ですよね。どういう印象を持たれるのかを常に意識して、相対的な価値が向上しているのかを謙虚に検討しながら、日々の仕事に取り組んでいこうと思います。35歳になって、仕事があるということの嬉しさ、ありがたさもよくわかります。

もうひとつ、非営利とはいえ、このブログやホームページも同じかなと思いました。
訪問してくれる人が、見てなにか面白いと感じてくれる、ドキッとしてくれる、また来ようと思ってくれる、そういう心遣いをしていなくては、アクセスは減り、続けていくことの充実感も薄れていくでしょう。誰も見ていなくてもいい、自分の書きたいことを書いたり、発信したい情報を発信していればそれで満足。そういう種類のサイトや媒介もあるでしょうが、このサイトやブログに関しては、来てくれる人たちとの交流や出会いも含めて、自分のためになっていくものだと感じます。まぁそれが大きな目的のひとつだし。だから、続けていくのであれば、意欲を持って更新をしていかなくてはと思いました。来てくれる人へのサービスというよりも、自分自身に対する矜持というやつでしょうか。臆面もなく言い切ってしまえば、誰とも知り合えない、誰にも読まれない、誰も喜ばないようなサイトであれば、ここを続ける意味もないですから。

仕事もプライベートも、正しい謙虚さをなくさず、律していこうと思います。

[ 2013/05/07 10:52 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

溢れさせたい。


このところの僕の趣味と言えば、もちろん「字を書くこと」なわけで、今日も昨日もきっちりと書いております。書くという行為にハマって約一か月が過ぎ、その間、ノートを何冊も消費してきました。最初の頃のノートに比べると、いまの方が多少はマシになってきたかなと、ちょっとでもそういう実感を得られると、もっと頑張ってみようと励みになります。

升目のついたノートで一文字ずつ練習するのと、縦軸のノートへの縦書き、無地のものに横書き。3つの練習を並行してやっています。比重としては、升目が5、縦書きが3、横書きが2というくらいでしょうか。升目の割合がもう少し高いかもしれません。

升目に書く練習のときは、一字ずつゆっくりと丁寧に書くため、それなりに形が整った、綺麗な字が書けるようになってきました。ところが、縦書きになるとそうもいかず、いまはバランスを調整するのに必死です。しかし、こう書いていると僕、とても暇な人のように見えますね…。こう見えてもけっこう忙しくしてますよー。

字を書くことから発展して、文章を書くことにもこれまで以上に楽しさを感じてきました。手書きの文章の方が良いと思いつつ、つい便利なのでキーボードで済ませてしまうことが多かったのですが、最近は、できるだけ手書きを心がけています。手書きしたものを、キーボードで打ち直すのも、校正も兼ねることになり無駄ではない。万年筆のおかげで、一日にかなりの量の文字を書いても、手がだるくなることも少なくなりました。楽しいなぁ。

「字が汚いから、練習をしている」と同僚や友人に話すと、別に汚くないじゃんと言ってもらえることが多いです。たしかに、特筆するほど汚いわけじゃないと、自分でも思いはするんですよね。でも、バランスは悪い気がするし、汚くはないけど、綺麗か?と言えばそうでもない。僕の字を見て「字が汚いね」と言う人もいなければ、「達筆ですね」と褒めてくれる人もいない。でも褒められたいから書くしかない。

綺麗だねとは言われないけど、たまに言われるのが「女性が書いたような文字」と。筆圧を弱く書くと、よくそう言われます。コギレイな文字と評されることもあり、どちらかといえば褒め言葉なんだろうけど、少し残念です。勢いよく、バランスよく、しっかりとした字を書いていきたい。


さて、SM そっちのけで字のことを書いてばかりいます。
前回の更新は、SM に関しての話だったし、まぁいいか。
ただ、SM にしても字にしても、仕事もスポーツも勉強も、何かひとつのことを磨き上げたい時、必要な気持ちにはいつも共通点があるような気がします。その共通点を実感するため、という意味では、字の練習、仕事への集中、ジョギング、どれもこれも、S としての自分を成長させるのに、一役買っている気もするのです。

うまく言えないけど、字を書くという行為からすら、研ぎ澄まされた S 性を放てるようになりたいですね。魅入られた M 女性が、執筆する僕を見るだけでもエクスタシーの世界にいっちゃうような。ぜんぜんその域ではないから、もっと磨こう。字を書く楽しさを知ったおかげで、その他いろいろなことに対する向上心が強くなっています。とても良い傾向です。

[ 2013/05/02 23:03 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(1)
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