4 years old

遠縁にあたる家の子供を、一日世話したことがあります。

それまでにも何度も遊んでいたし、よく懐かれてもいて、丸一日面倒を見ることに、特に抵抗はありませんでした。そのときの僕は20代半ば、相手は4歳くらいの女の子。便宜上、その女の子のことを彼女と呼ぶことにします。

当時も今も、僕は独身だし子供もいない。遊びながら一緒に過ごすのと、一晩世話をするのとでは、意味合いが全然違うということも知りませんでした。子供の世話をするって本当に大変で、元気に子供を育てている親御さんのことは、それだけでも尊敬する理由になります。

一日一緒にいる間、彼女は、時々両親に対する寂しさを滲ませるものの、気のいいお兄さんを独占して常に遊んでもらえるという状況に、だいぶ満足してくれていたようです。子供が眠る時間は早く、8時から9時の間には布団を敷いて寝かせつけに。でも、いつもと違う環境のせいで、彼女は興奮し、はしゃいで、なかなか心地よい眠りの中には入っていきません。なんだかんだじゃれあったり話をしたりしているうちに、経緯はまったく覚えていないんだけど、彼女が言った台詞が、いまでも強烈に印象に残っています。

彼女は布団に寝ころんだまま、無邪気な笑顔で僕と天井を交互に見やり、「首をぐーってして」と言ったのです。そう言いながら、自分の両手で自分の首を絞めるポーズをとっている。僕は、いったいなにを言われているのか、最初まったく理解できませんでした。そのとき、すでに SM には足を突っ込んでいたし、首を絞めるというプレイがあることも知ってはいました。でも、そういう知識と、目の前で横たわり、大好きなアニメを見て笑っているかのような表情を浮かべている4歳の少女と結びついてこなかったのです。数瞬の間、僕は何も考えずに言われた言葉を吟味し、それからふと、自分が子供のとき、首を絞めて遊ぶって流行ったっけな?と的外れなことを考えてました。

理解不能な現象を目の当たりにしたとき、人はだいたい、理解可能な解釈をこしらえて、それに沿っていこうとします。僕も、「事情はよくわからないが、首を絞めるという遊びが彼女の中で大流行しているんだ」と解釈し、さてどうすればいいのかと考えを進めました。首を絞めてと言われたこと自体への疑問は、その時点で捨てて。

どうすればいいのか。絞めるのはまずいでしょ。でも、求められたことを拒むには、僕はまだ子供の扱いに経験不足でした。逡巡しながらも、おそるおそる首に両手をかけて、首を絞めるポーズをしてみる。「もっと強く」と彼女は笑顔のままで言います。ほんの少しだけ、指先に力を伝えてみる。彼女はさらに笑顔になって、顔を上に向けて「もっともっと」とせがむ。さきほどよりも、もうちょっとだけ力を伝えてみる。息ができないほどではなくても、呼吸をするのに少しひっかかりがある程度にはなっていたんだと思います。

「もっと強く」と彼女が言う。目が合っている。まっすぐに僕を見つめている。「もっと強くして」と。

僕は、その瞳に吸い込まれて、また少しだけ力を込めました。
幸せそうに眼を閉じる彼女の表情を見ながら、その4歳の少女に対して、この子は女性なんだなと性を感じ、男と女というものの区別を実感しました。

その遊びが終わって、両手を離したとき、彼女は偽りなく嬉しそうで、僕はとても怖かったのを覚えています。怖いだけではなく、嬉しかったりもした。嬉しいというのは、もちろん4歳の子供の首を絞めたことではなく、「自分は男でSであり、Mな女性を美しく思う」という事実を確認できたことに対する嬉しさだったんだと思います。

僕の嗜好はロリコンではないので、そのときのことを思いだして性的興奮を覚えたり、その辺を歩いてる小さなお子様にあんなことやこんなことをしたいとは思わない。ただ客観的に見ても、あの瞬間の彼女は、きっと生涯二度とお目にかかれないと信じられるほど、妖しくて官能的でした。オーバーに言えば、神々しいとさえ感じるくらい。

「小さな頃から、アニメのヒロインが拷問されているのを見てドキドキしていた」といった種類の幼少時の思い出を、僕のサイトを通じて連絡をくれる女性は、よくしてくれます。そういう話も、もしかしたらその人たち以上にリアリティを持って聞いて、納得することができる。きっとそれも、あのときの彼女を見たからだと思います。

生まれながらに、M性(と我々が呼ぶ種類の性質)を、持っている人がいる。ならば反対に、S性を持っている人もいる。たぶん、誰もが両面を持っているのだと思いますが、何かをきっかけにして、そのうちのどちらかを意識したり、求めるようになっていく。


少し前の日記で、僕は、SM をしているときに、射精をしないことも多い、といったことを書きました。もっと言えば、こちらはまったく触れられなくても、奉仕をされなくても、相手を見ることで満足するときもあります。そのときの満足感も、性的な意味での満足感とくくっていいのなら、僕に絞められた彼女の幸福感もやはり、性的な満足感に近いのだと思います。


性は人の誕生から存在する本質のひとつであり、よほどの聖人か意地っ張りでない限り、目を背け続けることはできません。それがどんな性であれ、見ていくことは大切だろうなと、僕の頭の真ん中が確信している。

だから僕は、これからもこの指で誰かに触る。


[ 2013/04/30 23:52 ] SM and Sex | TB(0) | CM(0)

とりとめなく。


気がついたら、ずいぶん色々なフリーメールを使っています。

それぞれに用途は決まっていて、いまはスマホで一括管理もできるので、とても便利です。フリーだからこそ、なにかあっても文句は言えないのが辛いところですが、携帯キャリアのメールもあるし、フリーではないパソコンのアドレスもあるので、うまく使い分けようと思います。

それで、最近どのアドレスにも、「パスワードを定期的に変更してください」といった主旨のメールがよく届きます。セキュリティ保護の観点から、同一のパスワードをずっと使っているのが危ないとのこと。毎日のように届くので不安になりますね。なにかパスワードが流出するような事態が起こったんでしょうか。みなさんのところにも、そういったメールは届いていますか?届いているようなら、掲示板でもメールでもいいので、教えてくれると嬉しいです。このところ急に増えてきたので、不思議なんですよね。


仕事でもなんでも、「(面倒だから)まぁ明日でもいいか」と思ったことは、その日のうちにやってしまうというルールを作って実践中です。以前にも似たようなことを書いたしれません。でも、4月からは自分の中でルール化して徹底しようとしてます。そうすることによって、余計な心労が省かれる。明日でもいいかと思うたびに、いやいまやってしまえと言い聞かせて実行していれば、意外にたいした労力でもなく、時間を有意義に使えている気がします。良いことだ。


珍しく午前中からの更新。これから仕事です。
仕事という面において、僕はきっと恵まれている立場だろうなと思う。
そう思えることが、すでに恵まれている。
なのに少しのきっかけで、すぐに油断をしたり余所見をしたくなる。
集中力を保てれば、もっと満足できるはずだから、きっちりやっていこう。


反面では、脱がせて這わせたい不器用な自分もいますが。


うーん、達観したいような、それはそれで味気ないような。
エッチなデートをしたり、喋らず本を読んだり、なんかいろいろしたいのは暖かくなってきたからか。



[ 2013/04/30 10:36 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

いきはよいよい


毎年、このくらいの時期になると、職場に小さな虫が入り込んできます。

ドアや窓の隙間から入り込むのでしょう。蚊よりも小さい、なんと呼べばいいのかわからない虫です。おそらく、似たような虫はあちこちに現れるのでしょうね。職場の周りは、畑があるとか緑が豊富ということでもなく、大都会とは呼べないものの、一見すると虫に悩まされるような場所でもない。でも、どこからか入り込んでくる虫たちは、実害と呼べるほどの被害は出さないものの、ややお邪魔でございます。

いつも、建物に虫が入ってこないためのグッズを揃えます。きっと軽減はされているんでしょうけど、完璧に防ぐことはできない。しかも、夜に蛍光灯がついていることが多く、外に面した窓がかなり大きなもので、その窓から放たれる光をめがけて、次々と集まってくるのです。机に座ってパソコンを操作しているときに、目の前にちらちらと浮遊されると、集中力が切れるし、そのぶん能率も落ちる。なんとかしたいけど、完璧に防ぐ方法はたぶんない。ふう。

虫からすれば、何を勝手なことをという話でしょうね。
人間はとにかく傲慢なんだなと、日常の些細な出来事やその感想からだけでも、いくらでも確認できます。まぁ人は傲慢だけど、自分勝手なのは、実はどんな生き物も一緒ですか。


何日か前に、火星への片道切符を販売している民間団体があるという記事を読みました。
火星ですよ、火星。あの宇宙にあるやつ。

記事によれば、火星に移住して、開拓をしていく計画があるらしく、そのための参加メンバーを募集しているとのこと。初回は男女それぞれ2人ずつ、計4人。その後、2年ごとに同じ人数を送り込んでいく予定とのこと。すでに申し込みはかなりの数されているようで、その団体が断念しなければ、実際に動き出す企画なのでしょう。火星に運ばれた4人は、与えられた作業をこなしつつ、地球に戻ることなく生涯を終えるまで火星にいることになるようです。片道なのは、その方が大幅にコストを削減できるから。さらに、火星から地球に戻るための技術が、まだ存在していないから、だそうです。

ようするに、本当に片道切符なわけです。
申し込みが1万件を超えていると記事にはありましたが、もし選ばれたら本当に行くんでしょうか。

男女同数になっていますが、その男女を選ぶ段階で、どのような要素を見ていくのでしょう。極限状態になるのは間違いなく、そんな中で2人ずつの男女。その状況下なら、恋愛感情がどうとか、嫉妬がどうとか、そういったことは些末な問題になるんですかね。でも、どんな状況でも気にはなると思うんだよな。

火星という空間、あるいはそこにたどり着くまでの宇宙空間において、性行為は行えないんでしょうか。仮にできないのだとすれば、火星に行く人たちは、一生性行為をしないということを前提で、片道の旅に出るんですよね。この壮大な計画に、こんな心配をするのは無粋なのかもしれません。けど、けっこう気になる人もいるんじゃないかな。男とか女とか、そういった概念自体が、火星という環境やそこにいくまでの道のりの中で排除されてしまうのか。

倫理的にOKな話なんでしょうか。
地球に絶対に戻れない。火星で死ぬしかない。そうわかっている場所に行く人を、見送る行為は。
火星の開拓が進んだ結果、人類や地球にとってどんなメリットがあるのかわからないけど。
70億人以上もいる人間の中の4人だけど。
でも、なんだか腑に落ちないものも感じます。
まぁ、そういう人は応募しないんでしょうね。
当然僕も参加しないし。

この話を読んで、スティーブンキングの小説、死のロングウォークを思い出しました。
舞台はアメリカ。主人公は10代の少年で、彼は「ロングウォーク」と呼ばれている架空のイベントへ参加します。その内容は、スタート地点から、ただひたすら歩き続けること。ある速度を下回ったら警告を受け、それが3回蓄積すると問答無用で射殺される。参加者は100人いて、最後の1人になるまで続けられる地獄のレースです。ある一定時間警告を受けないでいると、溜まった警告がリセットされます。優勝者である最後の1人は、その後の一生を何不自由することなく、すべてを保障された生活を送ることができる。

いわゆるデスゲーム小説の古典です。
バトルロワイアルを皮切りに、日本でもデスゲームを題材にした小説は流行しましたが、ロングウォークはそれよりもずいぶん前の作品で、同じデスゲームを扱ったものでも、クローズアップされている部分が違うように感じました。

主人公の少年は、自分の意志でロングウォークへの参加を申し込む。
抽選を経て、100人の参加者の1人に選ばれる。
選ばれる確率はそうとう低いようで、選ばれたことだけでも、周囲は大騒ぎです。ちなみに、選ばれたあとの自体は事実上できない設定だったような。

選ばれた当初は気持ちが高鳴っていた主人公も、当日が近づくにつれ、徐々に現実を受け止め、恐怖の感情も芽生えてくる。それを認めると自分がおかしくなってしまうから、無理に勢いをつけ、虚勢と言うべき軽口を叩いて自分を鼓舞していく。そして当日になると。

火星への片道切符を申し込んだ1万人の人たちも、まさか本当に自分が当たるとは思っていないはずです。面白い企画だなという程度か、あるいは現時点なりの真剣さで応募をしていると思います。

いよいよ自分が火星に向かう日が近づいてきたら、どんな気持ちになるんでしょう。
どのような訓練、精神的にも肉体的にも、鍛え抜かれて迎えるその日。それでもやっぱり、怖いし未練もあるだろうし、行きたくないって思う感情はゼロにできないんじゃないかと。

普段はどんな活動をしている団体が、どのような目的で企画したことなのかわからないですけど、倫理としてどうなのかと思いますね。せめて、地球に帰れる可能性は残しておくべきじゃないかと。

興味を持ったので、もっと詳しく調べてみよう。





[ 2013/04/25 23:18 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

メールの返事。


サイトを通じてメールをもらうことが、たまにあります。

体験依頼のフォームメールだったり、SM に関する相談のメールだったり、サイトを見た感想だったり。ブログを読んで、SM とはまったく関係のない話でメールをくれる方もいたりします。Mの男性が、僕を女王様だと勘違いしてメールしてくるときもあるし、主旨がまったくわからない悪戯メールもくる。

一見して明らかに悪戯である場合を除いて、いただいたメールには返信しています。
ですから、メールを送ったけど返事がない、という場合、それはフォームメールなどで入力した、ご自分のアドレスに間違いがある場合か、なんらかのトラブルで僕にメールが届いていないかのどちらかです。申し訳ありませんが、もう一度メールをいただけると助かります。

アドレスの入力間違いであれば仕方がありませんけど、フォームメールの CGI が正常に動作しないときなどもあるようで、やっぱりフリー素材を使うのは怖いなと思いました。僕のサイトを通じて僕にメールをくれる場合、それが悪戯でない限り、やはり多少は緊張をしたり、悩んだり、迷ったすえにくれているんだと思うのです。そうして頑張って連絡をくれたのに返事がない。となれば、ああ相手にされなかったんだなと判断することでしょう。そう思われることは、とても申し訳ないし、残念だなとも素直に思いますので。

週明け、今日はゆっくりとした出勤で、ずいぶん余裕のある一日でした。
反対に明日は、僕にしては異様なほどの早起きをして、早めに職場に向かいます。
一般的な勤務形態の人に比べても早いくらい。
なんだかもう、だったら徹夜で乗り込もうかなと思ってしまう、早起きに自信がもてない僕がいます。

[ 2013/04/22 22:50 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

マッサージ店に行ってみよう。


通勤途中の道沿いに、マッサージのお店ができました。
最近、あちこちで見かけるお手軽価格のマッサージ店です。

行き帰りに必ず通る場所にあるので、近いうちに寄ってみようかなと思っています。
僕は、マッサージ店に入ったことがないもので。
プロのマッサージはやっぱり違うのかな。

聞いた話では、マッサージ師さんにもアタリハズレがあって、上手ではない人に当たってしまうと、たいした効果が得られない、下手をすれば逆効果のときもあるとか。信用度は必ずしも値段に比例して高くなるわけではなく、安いお店でも上手な人は上手。行くのであれば上手な人に当たりたいですよね。

書いていて思ったけど、急速に店舗を増やしているということは、それなりにどの店舗でも実績を出しているから可能なことだし、期待してもいいのかもしれないな。

普通のマッサージ店に行ったことがないのと同様、実は僕、いわゆる風俗店に行ったこともありません。性的なサービスを受けられるお店に、一度も入ったことがないんですよね。まぁ行かなくたっていいんでしょうが、周りの人の話を聞くと、行ったことがある人が多くて、自分が少数派なのか、それとも一般的なのか、いまいち判断できません。一回り以上も年下の後輩に、「一度は行った方がいいですよ」などと言われてしまうと、もしやそれは大人の男の登竜門なのかと思ってしまう。だから僕はいまいち大人っぽくないのか…。

女性を対象とした風俗というのもあるようですね。
よく考えてみれば当たり前か。出張ホストの人のホームページなんかも、探せばけっこう見つかります。風俗のバリエーションは、僕が思う以上に豊富で、この記事を書くときにちょっと調べて知ったところによると、添い寝専門のお店とかもあるらしい。性的な行為は抜きで、単なる添い寝のお店。なかなか面白い。

でもなぜか、そこに金銭のやりとりが関わってくると、下心に火がつきません。
反対に「お金で買っているという感覚が好きなんだ」と言っている人もいましたが。たしかに、そういう感覚を好きになる気持ちは、わからないわけでもない。欲しいものを買うという行為自体は、ストレス発散にもなりますし。

このところ、万年筆にハマっているので、そこからのたとえで。

たとえば、あるレベルの素晴らしい字を書くことで評価され、授与される、高級かつ美しい、書き心地も最高の万年筆があるとする。手に入れるためにはそれなりの字を書けなくてはいけない。当然、そんなわかりやすく素敵な万年筆があるなら欲しくなる。字を書く。でもその万年筆が、ちょっとしたデパートなどで良いお値段で販売しているとしたら、魅力は半減、というより激減します。この場合、万年筆そのものよりも、それを手に入れるに値する人物である、という評価の方が欲しいわけですから。

それはいま、万年筆でたとえたから、僕としてはそういう結論になるわけで、これが違うものなら話は変わってきます。レーサー級の運転技術を持った人に与えられる高性能でおしゃれな車があったとして、その車が普通に売られているなら、僕は買う方を選ぶ。レーサー級になるまで運転を極めたいとは思わないから。

さっき、「お金で買っているという感覚が好き」と言った知り合いも、結婚相手をお金で買おうとは思っていないでしょうから、お金で買って満足を得られるものと、そうではないものがあり、その線引きがどこでされているのかはその人次第ってことなんでしょうね。実際、最近こそ買わないけど、昔の僕はエッチな本を買ったりDVDを観たりしていた。それはお金で買える満足感だったんだろうしな。


マッサージ店のことでちょっとだけ書いとくかって思っていたのに、つい話が脱線して長々と書いちゃいました。色々と誤解も生まれやすそうな内容ですけど、誰に対する悪意も含まれていませんので、気分を害されませんように。

[ 2013/04/19 23:32 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

エッチなことは大好きだ!

SM と性欲は別物だ、という意見をよく見かけます。また反対に、SM も所詮は性癖の一種であり、性欲の範疇に入るという意見も溢れています。どちらが正しいのかは、SM という言葉の定義、性欲という言葉の定義にも依ることなので、つまりは人それぞれという解釈しか成り立たないのだと僕は思います。

僕の場合に関して言うなら、どちらかといえば後者の意見、SM も性癖の一種であり、性欲の範疇にあるという考え方の方が近いです。セックスをすることで得られる満足感と、SM におけるそれとでは、たしかに種類は違っています。でも、もし本当に SM とセックスが別物であるというなら、たとえばそういう男性は、M男性相手にも調教をすることができるんでしょうか。そういう人もいるとは思いますけど、僕が知る限りでは、「SM と性欲は別物だ」と主張する男性の中で、M男性の調教もしているという人はいません。そこには、性欲と同じ種類の欲求が介在していると思うのです。

男女の違いというのもあると思います。男性と女性では、性的欲求の質も違うだろうし、得られる快感も違う。性欲とはなにかを考え始めれば、最終的な答えは誰も出せないでしょうから、この手の話題を突き詰めていこうとすると、とても厄介なことになってきます。

で、なにが言いたいのかといいますと、SM と性欲は別物だと簡単に主張する男性ほど眉唾ものだ、ということです。別物なのかそうでないのか、答えなんて出せないと思うのです。それを、悟ったように別物だと言うのは、なにか自分を美化しようとする故意を感じるんですよね。すべてがそうとは言いませんし、言えません。中には、僕なんかの何倍も何十倍も SM について考え、性欲について考え、自分自身について考えた結果、確信を持って「自分にとっての SM と性欲は別物だ」と言える人だっているんだとは思います。けれど、大多数の男性は、性欲とは別物と切り離して評することで、自分をクリーンに見せているように感じてしまいます。

体験依頼などでメールをもらい、やりとりが続き、実際に会うことになっても、僕は挿入しないことがほとんどです。特に、初めて会うときには、挿入したことがありません。射精をするかしないかも、割合的には射精しないことの方が圧倒的に多いです。そういう僕でも、じゃあ SM が性欲とは別物なのかと言われれば、最初に書いたように、性欲の一種だろうなと感じるわけです。対象は女性、その姿を見て性的な興奮を覚えているわけだから、それこそは性欲なんじゃないかと思うんですよね。エッチだと思うんですよね、僕。エロいですよ。

それはそれとしてのS性だろうなと思うから、そこは認めた方がいいんじゃないかと、まぁそれも僕の意見であって、僕がそう感じるというだけですが。

僕がサイトを作ってから、途中で何度かサイト自体が消えたり移転したりしつつ、かれこれ6年近く経ちます。自分自身が SM というものに興味を持ったのはもっと前ですから、その時間の中で、M女性の人と知り合う機会もけっこうありました。そうしたM女性の多くは、一度や二度、自分が思い描いていたS男性像とはかけ離れたS男性に調教をされ、幻滅したり恐怖したりしています。話を聞くと、「SM とセックスは別物だ」と言っていた男性が、結局はセックスしたいだけの人だった、というケースも多いです。

だから、まずは聞いてみるのもいいかもしれません。あなたはエッチですか、性欲がありますか、SM と性欲は別物ですか、と。「エッチかどうかはわからない。性欲はあるようなないような。うん、SM と性欲は別物だし、セックスしたいわけじゃない」と即答してくる男性は、ちょっと用心した方がいいと思います。それは男性がイメージしている「M女性に対する模範解答」であり、彼の本音は別のところにあると考えた方が良いでしょう。

理由はなんであれ、経緯がどうあれ、女性の身体を縛ったり触れたり叩いたりして自分も満足感を得るのです。それはスケベに決まっているし、スケベじゃない男性は皆無、以前に書いたように、パンチラに反応しない男性も皆無。少なくとも僕は、階段の上にミニスカートの女性が歩いていたら、見えるかどうか一応確かめますね。

ネット上のブログなどで、バレンタインデーなんて自分にはもう関係ないとか、今日がその日だと街を歩いて初めて気がついたとか、そんなことを書いてる人を見かけますけど、だったらそもそも、バレンタインデーについてなにも言及しないはず。意識しまくりでしょう。

仕事とプライベートと諸々と、少々ストレスが溜まることがあったもので、つい攻撃的な文章になってしまいました。たまにはいいか。



[ 2013/04/18 23:04 ] SM and Sex | TB(0) | CM(0)

眠くて瞳を閉じるように。

何かひとつの道を極めようとするなら、その道に対するストイックな姿勢は絶対に必要で、けれど僕らは欲張りだから、目指す地点に到達することがなかなかできません。

最近、字を書くことが楽しくてたまらないと、このブログでも何度も言いました。文章を書くことも楽しいし、単純に字を書くことも楽しい。書き続けているうちに、少しずつではありますが、自分の文字が綺麗になってきたのも実感できる。そうなればさらに楽しく、ここ数日、一日に数時間は字を書いているような気がします。

なんて暇な人なんだと思われそうですが、決してそういうわけでもなく、単に他の時間を削ってでも、字を書いているのです。ただ書くという行為なのに、奥が深くて、自分が理想とするものになかなかなれないところが良いです。僕は基本的に、勉強やスポーツ、ゲームなんかも、「ちょっとやればちょっとできるようになる」人で、ちょっとできるようになると有頂天、あるいは飽きてしまって続けなくなるダメな性質なんですね。だから結局、色々なことが中途半端になってしまい、これだけは誰にも負けない、みたいなものがない。誰だって似たようなものかもしれないけど、でも欲しいじゃないですか。これなら誰にも負けないってもの。

その「誰にも負けない」っていうのも曲者で、たとえば字を書く行為にしてもなんにしても、本来、他人と比べて優劣をつける必要はないものですから、正確に表すなら、「それを想う気持ちは誰にも負けない」と言えるほど、自分の中で純度が高く想えるもの、というのが欲しい。となると、それは自分が決めることでもなくて、人が見たときに、「あんなに純粋にそれに打ち込んでいる人は他にいない」と思われるような何かが欲しい。

ペンを持つ。
自分でも字を書いたという意識もないままに、淀みなく流れるように字を書き終えている。
見ている人も、その行為に特に強い注意を払わない。ただ自然に、当たり前のようにその動作を終えている。
書かれた文字は美しく、見る人の気持ちの邪魔にならず、見た人がその字で書かれた言葉それぞれの意味を過不足なく受け取れる。そういう字を書いてみたい。

そんな理想を思っていると、それは、他の物事にも共通するものであると気がつきます。

ペンではなく、縄でもいい。

縄を持つ。
自分でも縄をかけたという意識もないままに、淀みなく流れるように縄をかけ終えている。
見ている人も、その行為に特に強い注意を払わない。ただ自然に、当たり前のようにその動作を終えている。
縛られた人は美しく、見る人にヨコシマな気持ちを起こさせない。

呼吸をする方法を、教わったことはありません。
そもそも、呼吸を覚えたとき、僕は生まれ落ちた直後であり、なにひとつ言葉をもっていなかったから。けれど自然に呼吸ができる。食べたものを消化することの、やり方なんて聞いたこともない。身体が自然にそうしている。セックスのやり方は、好奇心から事前に調べ、学んでいたとしても、性器を勃起させる方法を調べたことはない。眠りも自然。排泄も、まばたきも、しゃっくりもくしゃみも、手足を動かすことも、そのやり方について考えたこともないし、迷ったこともない。「まばたきしたいけど、どうやってするんだっけ?」って言ってる人なんていませんよね。

そういう風に自然に、当たり前に字を書いてみたい。縄をかけてみたい。触れてみたい。なにかをしてみたい。

その域に達するには、それを邪魔する要素を断たなくてはいけなくて、それにはストイックな姿勢が必要だと。

でも、やりたいことはいっぱいある。字を書きたいし調教もしたいし走ったり泳いだりしたいし、本も読みたいし文章も書きたい。色々したい。その色々が、字を書くとき、調教するとき、走るときや泳ぐときにも、顔を出しては惑わせる。良い字を書こうと思えば、その気持ちがもう理想を遠ざけてしまう。

難解でございます。


まったく話は変わって、最後にちょっと息抜きのようなどうでもいい話題を。

字を書き続けていたおかげで、いわゆるペン蛸というのができました。
中指の第一関節のあたり、ぷっくりと膨らんでいます。まだ続ける予定だし、きっともっと大きくなるのかな。とにかく、しばらくはなくならないでしょう。

膨らんでいるので、この指を使って中に触れたら、普段より気持ちいいのかもなと。
誰かされてみませんかなと。


この煩悩が、ペン蛸という言葉から連想するほどには、僕の字をキレイなものにしてくれないのですね。



[ 2013/04/16 23:31 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

スリッパは大切だ。


僕は、職場内ではスリッパを履いています。

たまに買い物などで外に出ることはあるものの、基本的には仕事中、ずっと室内にいますから、スリッパを履いている時間も相当に長くなってきます。なので、なるべく履き心地の良いもの、足がむれず、疲労が溜まりにくいものを購入して使用するようにしています。

靴やスリッパほど、使用してみないと「合う」「合わない」がわからないものも珍しいですよね。靴の場合は、買うときに試し履きしてみて、そのときのフィット感からその後の使用感を想像することができますが、スリッパの試し履きというのはあまり聞かない。それほど慎重に買うものではないし、ぱっと見の良さだけで、試して履くほどのこともなく買ってしまいます。でも、いいスリッパ悪いスリッパという区別は確実に存在して、悪いスリッパに当たってしまうと、しばらくの間、毎日着実にストレスを溜めながら生活することになります。

いまの仕事について、長時間スリッパを履くようになって、初めて意識したことです。

一週間ほど前、新しいスリッパに替えましたが、どうも今回はハズレのようです。一日履いていると、すでに疲労の溜まり方が激しい。初日なんかは、足が馴染んでいないこともあり、それまでのものよりも疲れたりするけれど、一週間も使っているうちに、良いスリッパであれば馴染み、疲労を感じなくなってくるはず。

また、これは僕の姿勢の悪さも影響しているんでしょうが、右の踵の減り方が、左に比べてやけに早い。右足に体重を乗せる立ち方をしているんでしょうね。使用して少ししか経っていないのに、一目ではっきりわかるほどに、右と左のスリッパに差ができています。こうなってくると、ますます疲労が溜まりやすくなってくる。悔しいけど、近いうちに買い直そうかな。

スリッパの種類について、たぶん僕は世間一般の方と同程度か、それ以下の知識しかありません。探せば色々な種類のものがあるんでしょうか。事務職にはコレ、とか、立ち仕事が多い人にはコレとか、それこそオーダーメイドの逸品のように高級なものとか。今まで、感じてはいたけれど、深く考えたことがなかったもので、次に買うスリッパは、色々なお店を巡ってじっくりと選んで、可能であれば試しに履いてみてから購入しようかと思います。

明日は日曜日でお休み。
今週は長く感じましたが、週に一日でもきっちり休日があるのは助かる。
手足の伸ばせる広いお風呂に、ゆっくり時間をかけて浸かってきたいなぁ。

[ 2013/04/13 23:01 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

幕の内弁当に機能美を感じる大人

木曜日のお昼から、NHKで「サラメシ」なる番組が放映されています。

内容は、色々な業界で働く社会人のランチタイムを覗き、それぞれの昼食を紹介するというもの。亡くなった著名人が足しげく通っていた定食屋さんなんかも取り上げられたりします。今日もやっていて、新社会人の人たちの、社会人としての初ランチの様子を追いかけていました。

ナレーションをしている中井貴一さんのキャラクターが安定せず、少し浮いてしまっている。中井貴一さんが嫌いなわけではないのですが、サラメシの彼はいまいちのような気がします。

まぁ、それはさておき。

僕は、ランチタイムに飲食店に入るということが滅多にないという勤務形態で働いています。行こうと思えば行ける。ただ、行かなくてはいけない、という環境ではない。昼ごはんを食べてから出勤することが多いので、だいたいは家で食べてしまいます。夜に飲食店に入ると、稀に、テーブルに置いてあるメニューの中に、ランチタイムメニューが混ざっておいてあったりしますね。それを見ると、ランチってなんでこんなにリーズナブルに出せるんだろうと不思議に思い、種類も豊富だし、今度食べに来たいなと細やかな願望を抱いたりする。結局、なかなか行かないんですけど。

サラメシは、ナレーションはしっくりこないものの、企画としては面白いなと思います。それが証拠に、放映時間に家にいると、必ず見てしまう。もともと、その時間はNHKに合わせていることが多いので、自然に映っているというのが正しいのだけど。

そんな僕が、最近よく食べるのが、幕の内弁当です。お弁当屋さんやコンビニなんかで売っている、あの弁当。つい最近までは、弁当でもとにかく「肉」を求め、選んでいました。いまでも肉は大好きで、焼肉もよく食べるのですが、「もう大人だし、こういう弁当を食べていたら、なんとなくカッコいいんじゃないか」というダメダメな理由で幕の内弁当を買ったときがあり、そのときの美味しさに、すっかり虜になってしまいました。

幕の内弁当の定義ってなんでしょう。
鮭の切り身が入っていること、コロッケが入っていること、小さいハンバーグが入っていること、そんな風におかずで定義するものなんでしょうか。とにかく、色々な種類のおかずがコンパクトにまとまっていて、飽きのこない味になってますね。どちらかといえば敬遠しがちだった弁当でしたが、ここしばらく、弁当を買うときはとりあえず幕の内弁当を買ってしまいます。僕も大人になったな…。実は昨日も食べたのに、書いていてまたいまも食べたくなってくる。なんて単純なんだろうと呆れます。

あーでも、今日のサラメシで誰かが食べていたパスタも美味しそうだった。
いろんなものが食べたくなるのに、比較的小食な僕は、いわゆる大食漢の人に憧れたりします。たくさん食べる奴は強い!(なにが)

[ 2013/04/11 21:32 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

磨く。


4月1日から、仕事の日報をつけるようにしています。

特に誰かに見せるわけではありませんが、一日の終わり、その日の出来事を思い出しながら日報をつけていると、ふとしたアイデアが浮かんできたりして、思いのほか役に立ちます。最近ハマっている、字の練習用にと思って始めて、まだ10日とはいえ、すっかり自分のルーティンの中に組み込まれています。正式な意味での業務日報ではなく、個人で勝手につけているものなので、書く内容も気ままですし、プレッシャーを感じることもなく楽しくつけられる。今年度、継続していけるように、いまのスタンスでマイペースに頑張ろうと思います。

小川洋子さんの小説「密やかな結晶」を読んでいて、その知性に惚れ惚れとする今日この頃。

もう何年も前に読んだもので、そのときも強く印象に残っていたのですが、人に貸したきり、行方不明になっていました。本屋に立ち寄ったときなど、もう一度買おうとして探してみたりもしたものの、不思議なもので、なかなか売っていない。でも最近、ようやく見つけて、思わず購入しました。

字の練習の一環で、面白いと思う小説を書き写していると、何日か前に書いたと思います。
一昨日から、密やかな結晶を用いていて、書き写しながら、話の面白さに引き込まれて、ついつい読む方に心を奪われてしまう。一文字一文字、書き写していると、単に字面を追って読んでいるときよりも、色々と考えさせられます。まだ最初の数十ページというところだけど、これは矛盾なのか仕掛けなのか、疑問に思う個所もいくつも出てくる。書き写すことは続けるにしても、今夜あたり、ラストまで読み通してしまおうかと思案中。以前に読んだときの記憶は、ストーリーとしては覚えているものの、細部の表現や企みについては消失していて、初めて読むような緊張感と期待感を楽しみながら読書中です。

読みたい本が増えてきて、時間的な制約もあり、じれったい気持ちになります。

寝て起きて、ごはんを食べて、本を読んだりジョギングをしたり泳いだり、将棋を指したり字を書いたり、調教をしたり、それくらいのことを好きなとき好きなだけできる立場になりたいなと、たまに想像する。けれど、いまの自分にはそれだけのものがないんだろうと、不意に感じて納得しました。

極端な話、何億とか何十億とかってお金があれば、僕は働かなくてもいいし、その分、拘束される時間も少なくなる。1日24時間をフルに、自分の欲のためだけに使っても問題はない。でも、もしもいま、なにかしらの幸運でそれだけのお金を手に入れたとしても、僕は僕の目指す理想的な男性にはなれないんだろうと、増えた時間を上手に使っていけないんだろうと、そんな風に確信したわけです。

あとからちゃんと頑張るから、先にまず結果だけ欲しいという、長期間のローンを組むような見通しは、人を磨く行為には向いていない。いま頑張って、一日ずつ少しずつでも、自分で自分を理想の方向に押してやる。

本当に欲しいものはなんなのか。
それを見つけることすら難しい。
幸運だけでは納得できず、自信にもならない。

そんな風に感じて、いま目の前にあるいくつかのことに、取り組む姿勢が少しマシになりました。

[ 2013/04/10 23:34 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

サディスティック

唸りをあげて風が吹いています。

職場の窓から外を眺めると、桜の花が風に舞い、まるで吹雪のようでした。

太陽の光は射していて、明るく暖かい空気に包まれているのに、そんな中で眺める吹雪はアンバランスで魅惑的な感慨をもたらします。


年齢を重ねるに従って、自分のことを褒めたり、自分の長所を見つけることが難しくなっていきます。たとえば自分は足が速いと思っていた人でも、たいていの場合、自分より足の速い人を多く知っていくわけで、そいつに比べて速くない、という考えから、自分の長所から「足が速い」を消去していきます。代わりに、下手をすれば「足が遅い」という短所を抱え込んだりする。

足の速さではなく、身体で考えてみるとわかりやすいでしょう。
ほとんどの女性は、自分のスタイルに自信がない、といいます。
それは、自分よりスタイルがいい(と思う)相手をたくさん見ているからで、それに比べて自分は…という考えが頭のどこかに浮かんで、消えていかないからです。

だから、自分の短所を見つけることは簡単だし、落ち込んでいくのも簡単です。

でも、それでは面白くないですよね。
「世界にひとつだけの花」ではありませんが、自分は自分、Only one なわけですから、そういう自分を、他人と比べて「可愛くない」とか「要領が悪い」とか言うこと自体がナンセンスです。人と比べてどうなのかは問題ではなく、自分自身が自分を気に入っていられるかどうか、好きな相手が自分を気に入ってくれるかどうか、そういうところが問題ですね。

自分に自信がないから控えめになるのではなく、自信を持つために積極的に挑戦していく。そういう姿勢こそが、人の魅力を育てていくのだと思います。

もちろん、それはキレイゴトでもあり、ひとつの理想でもあり、言うだけなら簡単なただの台詞なのかもしれない。きっと、それをただの台詞にしてしまうのか、あなたにとっての真実にしていけるのかは、自分次第、気持ち次第。疲れるときもあるだろうから、そういうときは走ったり歌ったり汗をかいてバタンキュウと眠ってしまえばいい。


なんて立派そうなことを書いていると、不意に指が止まり、誰かを縛って眺めたくなる。

舐めさせたくなる。




[ 2013/04/10 00:29 ] SM and Sex | TB(0) | CM(0)

What time ?


腕時計をつけ忘れて出勤しました。

いつもは意識しないけど、腕時計を見て時間を確かめる習慣はついていたらしく、今日は何度も、何も巻いていない自分の手首を見て、そうだ時計を忘れたんだと気づかされました。

携帯電話はポケットに入っているし、職場のあちこちに掛け時計もかかっている。腕時計がなくても、時間をする方法はいくらでもあるのに、やっぱり不便に感じます。

いま僕が使っている時計、相当優秀なんですよ。
かれこれ10年以上も愛用していますから。
20代の初めに買ったもので、電池交換不要のタイプです。使い始めてから、時間を調節しなおした記憶はまったくありません。秒単位での狂いは生じているんでしょうが、10年以上も使ってこれなら問題なし。別に高級ブランドの高級品というわけでもありませんが、長く使っているうちに愛着も湧き、買い替える気になりません。

決して、他の物に対して物持ちが良い方ではなく、どちらかといえばすぐに新しいものを欲しくなるミーハー気質な僕なのに、時計はずっと同じもの。年齢的には、もう少し高級なものをつけていた方がサマになるのかもしれないけど、替えるタイミングがないなぁ。

[ 2013/04/08 23:21 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

本能


道端の花さえ溺れそうな勢いで、雨が降り注いでいます。

予想通りの悪天候ですね。

今夜くらいに雨が強いと、服が濡れて下着が透けてしまう人もいそうです。
変に見えても、目の前にごはんを出されてからオアズケをされるようなもので、かえって欲求不満になるものですが。

男性にとっての女性というのは、どうしてこうも魅力的なのかと不思議に思います。
突き詰めてしまえば、種の存続のための本能、そのレベルで男は女に惹かれているのでしょう。植物も動物も、受精を繰り返して生き永らえる生物の営みを考えるにつけ、生命体の本能の強さ、逞しさを感じます。

[ 2013/04/06 21:34 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

咲いて散るもの。


数日間、ブログの更新を怠けていたので、今日は張り切って更新。

のはずが、ついさっきまで書いていたものが、ちょっとした操作ミスで見事に消去されました。
下書きが自動保存されていないかと期待をしたものの、そんなシステムは存在しないらしく、もはや完全にゼロ。

ゼロから同じ文章を書くことは、僕にはとても難しい。
まず第一に気力が湧いてこないしさ。
これだから文章は手書きが一番、などと、最近のマイブームである手書きの文章を賛美しておく。

このところ、字を書くとか文章を書くとか、その手の話題ばかりですみません。
なぜそうなるかといえば、仕事をしている時間以外、かなりの高確率で字を書く時間に充てているためです。ようするに、他にとりたて書くこともないと。暮らしている中で、様々な出来事に対する自分の感想の少なさに軽い危機感を覚えます。

しかしまたもや、書くことについての話題を引っ張るわけですが。

最近では、自分の好きな小説を書き写すことを実践しています。
字の練習にもなるし、文章の練習にもなる。こりゃ素晴らしい。

おそらくは手書きで生み出されたであろう作品を、自分もペンをとり手書きで写していると、その作者の力量をまざまざと感じて溜息が出ます。自分がその域に達するのに、あとどれくらいの時間や経験が必要なんだろう。


職場の前にある大きな桜の木が、ようやく満開となりました。今日は暖かかったですね。咲き誇る桜を眺めているだけでも、得をした気分になり、弾んできます。明日が荒れ模様の天候ということで、強風に晒されて花弁が散ることを思うと、もの悲しい気持ちにもなる。何から何までどこまでも、世は無常。流れに沿いつつ、毎日を有意義に、喜怒哀楽を確かめ、味わいながら過ごしていきたいと思います…。

[ 2013/04/05 23:48 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

安定感


大学に通っていた頃、初めて自分のパソコンというものを持ちました。

まだダイヤルアップ接続が主流で、画像も動画もいまみたいにお手軽に見られない。正確な記憶はありませんが、たとえば映画を一本ダウンロードしようとしたら、丸一日くらいかかったんじゃないでしょうか(たぶんオーバーです)。

まぁ、丸一日は言いすぎだとしても、印象としてそれくらい「時間がかかった」というイメージが残っています。そういうネット環境の中で、動画を見ようと思い立つ人はあまりいないだろうし、音楽も画像も、何もかも時間を浪費するため、自然とよく見ていたサイトはテキストのみのサイトでした。当時の僕といえば、フリーライター及び文筆業で生計を立てることを目標にしていた若造で、多くのライターさんのホームページを覗いては、文章を読んでいました。

ホームページを持つほとんどのライターさんは、Web上で日記をつけていました。さすが文章を書くことを生業にしているだけあって、更新頻度も高く、ひとつひとつの記事に読み応えがある。サラッとそれだけの文章を書いてしまう職業文筆家の力量を目の当たりにしながら、「もしかして俺って甘いのかな」といった疑念が頭をよぎったものです。当然その疑念はスルーして遠くに放っておきましたが。

商用原稿ではないから、おそらく書き流していただけの日記のはず。それでも最低限のクオリティを割らない安心感のある文章になっている。それは、内容が深いとか面白いとか、そういった意味でのクオリティではなく、単純に文章としての、日本語としてのクオリティです。そこがしっかりしているから、どの記事も読みやすく、先へ先へとリズムよく読み進めることができました。

今日、ネットサーフィン中に、あるライターさんのブログを見つけ、読み始めたらとても面白い。安心感、安定感、ユーモアあり知性ありの文章で、しかもほぼ毎日の更新。やっぱり本職の人は違うなと痛感しましたね。それに引き替え、このブログで書いている僕の記事の雑さ、いい加減さときたら…

そんなこんなで、ようするに、また反省をしてみたというわけ。
昨日、字を書く練習にハマっていると書きましたが、今日は字を用いて書く「文章」について考えさせられました。どうも近頃、文章を書くという行為の全体に、惹かれているようなのです。

[ 2013/04/02 22:44 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

好きこそものの上手なれ


どうにも自分の字が好きになれず、このところ字の練習に励んでおります。

漢字はまだ良いとして、ひらがなが難しい。画数も少ないし、曲線が多くてごまかしが効かない。たまに、仕事上で手紙を書かなくてはいけないことがあり、そんなとき、もう少し字がうまければ…と自分に憤ったりします。

それでも、「字を書く」ということを意識して、毎日練習をしているうちに、ずいぶんマシになってきました。達筆な知人が、「新聞を書き写していくと良い」と言っていたので、それを忠実に実行してます。新聞は、多くの人に読みやすいフォントを採用しているらしく、それを見本に練習をすると、自然と読みやすい字体になっていくとのこと。たしかに、納得できそうな理由です。

少し前、万年筆が素敵と書いたと思います。マイブームが下火になる気配はなく、いまも万年筆を愛用中。慣れてくると、ボールペンやシャープペンシルに比べて遥かに楽で、しかも楽しい。字を書くということが、こんなに楽しいものだとはじめてわかりました。だんだんと上達していくのを感じると、その喜びもひとしお。「字がうまいですね~」なんて褒められちゃうともう有頂天になって、「いやいや、そんなことは」などとニヤニヤしながらご謙遜。僕は本当にお調子者なんだろうな。

仕事を離れた日常生活では、ペンで字を書く機会が減っていました。
ペンよりキーボードを叩く方が早くて疲れも少ないし。でも、だからといって字を書かなくてもいいわけではなく、やっぱりここ一番のとき、サラッと書いた字がキレイだと、その人の印象も変わってくると思います。丁寧に丁寧に、毎日こつこつ書いていこう。

気持ちが入った行動には結果も伴いやすい。ここでも、大切なのは強い気持ちだと実感します。

強さにも色々とあるけれど、自分にとって必要な強さはどこにあるのか。きっと心の内にあり、見つけなくてはいけないのでしょうね。

[ 2013/04/01 22:24 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)