亀はウサギに勝ったわけだし。


出勤のとき、いつもはガラガラに空いている道がちょっとした渋滞になっていました。
原因はよくわからない、自然渋滞のようです。
時間には充分余裕をもって出勤しているので、慌てることもなく、珍しいな~などと呑気にかまえておりましたが。

後方からサイレンの音。救急車が、渋滞を塗って接近してくるのが確認できます。

2車線の細い道で、トラックなども交じってどちらの車線にも車がびっしりでしたが、誰からともなく車を動かし、救急車が通れるスペースを作る。それぞれの人がそれぞれの事情で、そのとき車に乗っているんだろうし、渋滞にイライラしている人、焦っている人もいたはずです。でも、みんなきっちりと道を譲る。

日常よくある出来事ではありますが、今日は妙に感動してしまい、こういう美徳は当たり前のようでいて、実は素晴らしいことだと思いました。

一日一善、塵も積もれば山となる、小さなことをコツコツと、個人レベルでできることだって、探せばいくらでも出てきます。緊急車両が来た時に道を避けるのは受動的なことではあるけれど、それでもできるのなら、他のいいことができる可能性もあると思います。すぐに目に見える結果は出ないことでも、繋がっていくんだと意識して、自分にできることを能動的に頑張ってみようと思います。

[ 2013/02/28 21:12 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

強さ。

ずっと以前に、体験依頼をしてきた女性のことです。

彼女はSMの世界に興味を持ち、自分の中のM性も自覚していました。
同時に、そういうことに興味を持つ自分へ、嫌悪感も抱いていた。
興味と、興味を持つことへの嫌悪感、これは多くのM女性が経験するジレンマかもしれません。

彼女には恋人がいて、その男性のことをとても好きでした。
僕に体験依頼のメールをしてきた時点でも、彼女は恋人を大好きだったのです。
でも彼にはS性はなく(少なくともその時点で、彼女はそれを感じなかったということです)、彼女の欲求は消化できないままで、付き合いを続けていました。

メールのやりとりをするようになってからも、彼女はSMを体験してみたい気持ちと、彼への罪悪感、そして自分への嫌悪感の間で悩み続けていました。僕はゆっくりと話を聞きながら、彼女の中に確かなM性と、羨ましくなるような純真さの両方を意識したものです。

やがて、体験をする日が来ました。

彼女は、緊縛を望んでいたので、それをすることに。
下着はつけたまま、上半身から縛ります。ごく基本的な縛りで、彼女の様子を見守ると、吐息は明らかに熱くなっているのがわかりました。下半身も縛るかどうかを尋ねると、「お願いします」という返事。下着を脱がす了承を得て、上半身を拘束されたままの彼女のショーツを下に下します。

脱がせるとき、その部分を見ないように気を遣いました。その時点であくまでも、彼女は「縛られる」という行為を体験するだけだったので、不必要に羞恥心を煽ることは避けたかったです。脱がせて、彼女の顔を見て、じゃあ縛るよと声をかけたとき、彼女の口から「あぁ」という、官能的な声が洩れました。そして、これまで以上に大きく身体をくねらせる。

彼女の愛液が、糸を引いて床に垂れていました。
上半身を縛られているだけで、彼女はそれほどに反応していたのです。
垂れていくその雫のキレイさは、いまも脳裏に残っています。


縛りを終えたあと、玩具を用いて少しだけ快楽責めをしました。
そうしたシチュエーションでの刺激が初体験だった彼女は、おそらく自分の想像していた以上に感じていたのでしょう。やがて、エクスタシーを迎えそうになる。もう少しかなと思ったそのとき、彼女は快感に身をよじりながらも叫びました。「初めては彼とがいいっ」と。

イクという経験をしたことがなかった彼女は、初めてのその体験を、彼の手によって導かれたかったのです。

縛られるだけ、いやおそらくは、縛られると意識しただけで濡らしていた彼女が、イクという地点まであとほんの少しだった彼女が。

僕は、その言葉を聞いた直後に玩具を止めました。
そして、彼女の頭を撫でながら、呼吸を落ちつけさせました。


彼女がしたことは、彼への不貞になるのかもしれません。
けれど、僕は彼女を尊敬しました。
調教をするSとしてというよりも、普通の男として。
それまでに、何人もの女性を調教してきています。そのときの快感が、どれほど強いものかは、自分が体験できるわけではないけれど、想像することはできます。それなのに、その快感にブレーキをかけたあの言葉には、心から驚いたし、単純な好感を抱きました。


彼女の体験は、いまのところその一日だけです。
「あの日のおかげでいろいろふっきれた気がして、とても感謝しています」という内容のメールを、その1年後くらいにもらいました。彼女は、いまもそのときの彼氏と過ごしているんでしょうか。その後の彼女のことを思うなら、もしかしたら、多少強引でもイクという感覚まで導いても良かったのかもしれません。いまでも、そのときのことを思うと、わからなくなります。


同じような立場、状況、状態の女性はたくさんいると思います。
SMというものに興味を持ち、しかし満たされず、あきらめられず、踏み出せず、認められず、様々な感情が入り混じってもやもやした気持ちを抱え、消化できずにその気持ちが見えないフリをしてしまう。

勇気を出して踏み出し、しっかりと自分と向き合っていくことで、その体験は、振り返ってみて「良かったな」と思えるものになります。

頑張ってみましょう。

[ 2013/02/27 23:54 ] SM and Sex | TB(0) | CM(0)

ガラスペン

ガラス製の万年筆が話題になっているということで、検索して写真を見ました。

とてもカッコいい。

実用性があるのかはともかく、いま現在、欲しくてたまりません。

値段的にはピンキリあって、数千円で入手できるものから数万円まで、たぶん上を見たらキリがないのでしょう。値段が上がるにつれてカッコよくなっていく、気がする。欲しいなぁ。

日頃、キーボードだけではなく、直筆で字もよく書くものですから、筆記用具には興味津々で、ついつい喉から手が出てしまいます。そんなこんなで未使用同然の品もけっこうあって、この数か月くらい、反省して新しいものは買わず、すでにあるものを順番に使いまわしていたんですよね。

でも、ガラス製は反則だな。欲しくなってしまう。

なんであれ、ガラスの冷たい感触と鋭い質感には惹かれます。割れやすいという点も良い。なぜかはうまく言えないけれど、落としても割れないガラスがあるとしたら、その美しさは少々ダウンしてしまうんじゃないでしょうか。

万年筆…

普段使うことはほぼないな。

でもな。

[ 2013/02/26 23:45 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

辞書よりM女

昔なら許せなかったことや我慢できなかったことを、なんとも思わなくなっている自分がいて、それを成長と思えば悪い気はしないけど、一方どこかで焦りを感じたりします。

それはきっと、「なんとも思わなくなっている」というのが嘘だから。

僕の中の根っこの部分では、昔と変わらず許せなかったり我慢できないことなのに、そういう本音を押さえつけて「まぁいいじゃないか」と宥める大人目線の僕がいるのです。押さえつけられているのも自分自身だから無意識にストレスになり、それがうまく言えない焦燥感に繋がっているのかなと。

喜怒哀楽の怒に限らず、大人になるにつれて、感情を素直に表現して良い時間が少なくなっていきます。まったく新しい感情との出会いも減っていく。赤ちゃんや幼児の頃までのわがままな振る舞いに比べたら、いまの自分は不感症なのかと心配してしまう。本当の不感症にならないように、ときどきは自分の欲求を満たしていかないといけません。

適度に刺激を求めなければ、疲弊してだらだらしちゃいます。

SもMも、わりと理屈っぽい人が多いんですよね。
感情に則した言葉を完全に使いこなせる人はいないのに、普段生活の中でほとんどの時間を言葉に身を委ねている。大袈裟に言ってしまえば、日常、嘘をつき続けているわけです。だから言葉を忘れたい。そのために、忘れていいのだと知りたい。

おもいっきりなにかをするために、これらのことばはじゃまになる。

[ 2013/02/26 00:36 ] SM and Sex | TB(0) | CM(0)

走る。


テレビで東京マラソンを見ました。

午後から出勤だったので、上位陣がゴールをした辺りで家を出ちゃいましたが。

僕は、意外とマラソン好きです。マラソンというか「走る」という行為が全般的に好きです。
自分でもジョギングをするのは好きだし、陸上競技を見ているのも楽しい。
球技も楽しいですけど、走るというシンプルな種目にはまた違った魅力があります。

走るとか泳ぐとか、生き物としての強さを表す指標になると思うんですよね。

ジョギングやスイミングをしていると、ストイックな気持ちになれる気もします。
色々な雑念を抱えて走り出しても、時間が経つうちに、余計なことは考えなくなる。ただ走って、息を弾ませて、自分の身体と向き合う時間が流れます。流れる汗に自分自身の不純物を重ねて、自分がどんどんキレイになっていくのを感じる。走るのをやめて呼吸を整えながら歩くとき、呼吸に専念している自分の意識に、汚いものは混ざっていない気がする。

運動をすること自体、健康にもいいし、実際に身体のキレがよくなってくるから気分がいい。

あぁ、なんか書いているうちに、無性に走りたくなってきました。春も近づいてきたし、スイミングにも行きたいかも。このところ、すっかりそういう運動を怠けていたしな。いま、書きながら運動をしたあとの清々しい疲労を思い出して、また味わいたくなりました。

よし、ということで、明日はジョギングしようと思います。
今月いっぱい、仕事が立て込んでいるので毎日は厳しいかもしれないけど、でも頑張ってみよう。ブログ更新の頻度と同じくらいには頑張りたい。汗をかくのって、いいことですよね。

[ 2013/02/24 21:46 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

「今日のセックスなに?」

藤子不二雄の初期短編で、食欲と性欲の価値観が逆転してしまうというストーリーがありました。収録されているコミックの名前は忘れてしまいましたが、その話は面白く、色々と考えさせられたので記憶に残っています。

主人公はある平凡な家庭のご亭主で、サラリーマンだったと思います。
ある朝、目を覚ますと、自分がいる世界の中で、食欲と性欲に関する価値観がまったく逆になっているのです。奥さんは朝から、しかも子供の前で、平気で夫婦の営みをねだる目をしてくる。子供たちも、なんの恥じらいもなく卑猥なテレビや雑誌を読んでいる。父親である彼の目の前で。しかも、「朝メシはまだか」という彼に、奥さんは羞恥心を露わにしてこっそりとごはんを食べさせる。

どこか腑に落ちないながらも、朝は時間がなく、出勤するために家を出ると、通勤途中の風景もおかしなものに。そこかしこで繰り広げられる痴態の連続。みんなが、思うとき思うままに性行為をしているのだから、現在の僕らの価値観からすると尋常ではない風景です。藤子不二雄が描いているわけだし、対象年齢が何歳くらいだったのかわかりませんが、それほどアダルト色の濃い描写はなかったものの、想像力で補うと大変なことになります。

朝ごはんを食べるようにセックスやオナニーをする。「おはよう」「じゃあしよっか」みたいなノリで。街中でも、帰宅途中の学生がコンビニで立読みをしながらオナニーをしていたり、カップルが仲良く喫茶店や路上でセックスをしている。小学生も中学生も異性の身体に興味津々で、なんの遠慮もなく覗きこむ。思春期の男子なんて大変で、1時間目の最中から「あ~溜まってる。出して~」とか囁き合うわけですよね。なんせそれが僕らの「お腹へった」なわけですから。誰でも一度は言ったことがあるはずの「お腹ペコペコで死にそう」ってセリフも、「セックスしたくて死にそう、オナニーしたくてたまらない」となってくる。

そんな世界の密やかな遊戯は食事。誰もが、こっそりと、かすかな羞恥心を忍ばせながら食事をとる。そういう世界での露出好きな人は、わざわざみんなの前でごはんを食べるってことなのかな。


話の結末をはっきり覚えていないのですが、たしか、その世界に順応しようとした主人公が、性に奔放になろうとしたところで、またも価値観が反転し、バッドエンディングの予感を漂わせながらの引きだったと思います。

その話、初めて読んだのは10代後半くらいだったと思います。そのときは、面白い設定だなくらいにしか感じませんでした。それから何度か目にする機会があり(よく考えたら僕、なんでそんな本を見つけたんでしょう)、いまではなにもなくてもたまに思い出すんですよね。

なぜ性行為は恥ずかしく、どちらかと言えば隠れて行うのに、食事はそうではないのでしょうか。ドラマの中で美味しい食事を楽しむシーンは出てきても、気持ちいいセックスを楽しむシーンは漠然と描かれるのはどうしてなんでしょうね。人が生きるために必要なことだし、同等の価値観を持たれてもいいのに。種の存続のためも含めて、様々な要因が考えられるんでしょうが、仮に理由がはっきりしたとしても、疑問に思う気持ちは消えないものです。

あぁ、でも、食い意地が張りすぎているとやっぱり恥ずかしかったりするか。
似ている面もあるかもしれないな。


ともあれ、漫画の世界のような価値観でなくて良かったとは思います。あまりに奔放になれば、僕の好きな羞恥心は意味のないものになりそうですし。食事をすることに対する人一倍強い羞恥心を持った女性に惹かれるようになるのかもしれませんが。

食欲も性欲も、完全に制御できる人なんて皆無でしょう。美味しいものは食べたい。気持ちいいことはしたい。それは当たり前のことで、24時間その欲求を発散しつづけることはできないとしても、永久に封じ込めることもできない。食に好みがあるように、性にもそれはあり、自分の大好物は人それぞれにちゃんとある。美味しいと評判の店で1時間以上並ぶことは恥ずかしいことではないように、たとえばネットで自分がドキドキするサイトや動画なんかを延々と見てしまうのも、基本的には恥ずかしいことではありません。食でも性でも、それが社会人としての自分の生活に悪影響を及ぼすようになったら恥ずかしいと言われるのかもしれないけど、そうでないなら、夜更かししてエロ動画を探しても、それでその人が恥ずかしいということにはならないと思うのです。

本当は、そういうことで自分を恥ずかしいと思う気持ちこそ恥ずかしいはず。

なんて、これは僕がエロい男で羞恥系が好きなS男性だから力説しちゃうことなんでしょうか。



[ 2013/02/24 01:37 ] SM and Sex | TB(0) | CM(0)

Boy meets Ms.Runa.

生まれて初めてエッチな本を買ったときのことを思い出そうとしてみたんですが、うまくできません。どんな本を買ったのか、どこで、いつ、そういったことがすっぽりと記憶から抜け落ちています。よくよく考えてみれば、最低でも20年は昔のことだろうから、覚えていないのも無理はないですね。

小中学生にとってみれば、エッチな本を買うということは、とんでもなく恥ずかしいことであり、しかし反面ではどうしようもなく魅惑的な行為だったりします。

ずいぶん以前に使っていたブログで、自分のS性を意識したきっかけを書きました。そのブログはもう残っていないので改めて簡略的に書くと、僕が自分のS性を認識したのは、「いけないルナ先生」という漫画を読んだときだと思います。性質的なSの側面は、それ以前に持っていたのだとしても、女性の羞恥に震える表情が好きだ、そうやって辱めてみたい。そんな方向性をはっきり認識したのは、ルナ先生でしたね。

僕と同世代、もしくは少し上の年齢くらいの人であれば、覚えている人も多いかと思います。何年か前に再版となりましたが、そのときは成人指定となっていました。それが、少年誌で連載されていたのだから、昔の方が規制は緩かったのかな。のび太君みたいなダメ学生の家庭教師となったルナ先生が、あの手この手でその学生を勉強させようとするのですが(なぜかルナ先生は主人公のダメ学生を大好き)、その過程で、女性の羞恥心を思う存分描いてるんですね。

それを読んで、同系統、というかM女性が登場するコミックが好きになり、やがてSやMという言葉を知り、自分はSの方だと意識しました。

僕の場合、いま書いたような単純な経過がSMへの目覚めになっていたと思いますが、みなさんはどうなんでしょうか。

とにかく、一度意識してしまうと、興味は尽きない。実践するまでいくらでも想像してしまうし、想像はいくら重ねてもプライスレスなので、貪欲に突き進んでしまう。無理にそれを抑えようとしても、抑えようとするということはすでに、そのことに心奪われている証拠でもありますから、いずれはまた実践への欲求がムラムラと。

僕も、きっとそうだったと思います。性的な嗜好というのは、本質に沿って変化していくことはあっても、その本質が変わることはないのだと思います。

想像していたことを自分で実践するようになって、すでに10年以上の歳月が流れ、それなりに多くのことを経験してきました。それでも想像する夜はあるし、SやM、調教ってなんだろうって、考え始めれば答えはなかなか出ません。ひとつのことに、これだけ長い期間、興味を持ったことは他にない気がします。あとは読書くらいか。

書いていたら、久しぶりにルナ先生を読みたくなってきたな。
さすがに大人になってから読んだときは、初読のときの興奮は味わえませんでしたが、いろいろ初心に戻れそうだしな。S的な意味で。

[ 2013/02/22 23:58 ] SM and Sex | TB(0) | CM(0)

何をするにも時間はかかる。


夜、中途半端に時間が空くことになり、本屋にでも行こうかなと思いました。

とはいえ、その時点で午前0時だったので、うまく見つかるかわかりませんでしたが。

見つかったらラッキー、見つからなくても、探すことで時間が潰せるからまぁいいかと、そう考えて車に乗り込み、エンジンをかけました。今夜はひどく寒かったです。

探し回ること10分、あっさりと営業中の本屋を発見。探し回るもなにも、心当たり一軒目が営業していました。夜中に本屋に行ったことなんてほとんどなかったし、軽い驚きでしたね。職場から車で10分くらいと適度な距離。これからはちょくちょく覗いてみようかな…

と思いながら、フンフンランランと店内へ。明るい。そして、当然のことながら溢れている本。どこを見ても本。僕の生活リズムは完全に夜型ではあるものの、夜は疲れているし、眠たくないといえば嘘になる。しかも仕事の合間、そんな時間に本屋に来たことなんて皆無に近い。初めの数分こそ、大量の本に囲まれて、どれを買おうか浮かれ気分で物色していましたが、そのうちすぐに目が回ってくる。これは、本に酔うというやつか。

人混みに酔うのと同様、大量の本にも、時と場合により眩暈がするのだと知りました。

酔っぱらいながらも、その状況すら面白く感じてしまい、おぉ本酔いだぁなどと脳内でくだらないことを呟きながら、3冊買って店を出ました。

世の中にはたくさん本がありますよね。
久しぶりに、目当ての本もなく本屋に行き、ただ思うままに書棚を眺めるということをしたので、その大量の品揃えにびっくりしました。これだけ多くの書物が出版されているとは。とてもじゃないが読破できるものじゃない。ぱっと見て、面白そうだなと思った本を挙げていくだけでも、その数はあっというまに二桁を越えていく。「面白そうだなと思う本を全部読むことはできないんだ」という自然な事実に悲しみを覚える。

それはつまり、可愛いなと思う女性全員と会うことはできないってことでもあり、観たい映画をすべて見ることはできないということであり、美味しそうなものを制覇することもできないってことです。僕がこのまま欲張りでいる限り、どうしたって時間が足りない。

なにか、大切なことを発見した気持ちになりました。

仮に本屋をまるごと所有しても、読める本の数は他の人とそう変わらない。本を読むには時間がかかるから。どんなことでもそうでしょう。


タイミングを逃さず、偶然で片づけず、言い訳しないで勇気をいっぱい使いたい。

[ 2013/02/22 01:43 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

チーズ

何日か前に、マクドナルドのハンバーガーを食べたと書きました。

にも関わらず、またもや今日も、マクドナルドのお世話になりました。
昼間、時間がなくてドライブスルーで。

頼んだものは「ダブルチーズバーガー」のチーズ抜きをセットで。

なんでダブルチーズバーガーなのにチーズ抜くの?という疑問はごもっとも。
一応言っておくと、チーズが入っていても食べられるし、ハンバーガーに入ってるチーズは好きですよ。でも、そのときはたまたま、チーズ抜きな気分だったんですね。

そもそも、もうかなり昔、マクドナルドには「ダブルバーガー」というメニューがありました。
いまでいうなら、まさにダブルチーズバーガーのチーズ抜き。
大は小を兼ねるというやつで、ダブルチーズバーガーに統一されちゃったんだと思います。たしかに、そっちが残っていれば、結果としてダブルバーガーも食べられるし。

ですから、僕がチーズを抜いたって、特におかしなことではないと思うんですよ。

しかし、本日は勝手が違いまして。

まず、ドライブスルーで注文をした時点で、なぜか微妙な間が空く。
そして「ダブルチーズバーガーのチーズ抜きですか?」と再確認までされる。
うまく言えませんが、その時点で「この店員さん、新人さんだな」と直感。
いるんだよ、世の中にはチーズ抜きを頼む奴だってよ~
と思いながら、動じずに「はい、抜きで」と応答しときます。

で、車を前に進めて受け取り口へ。

渡されてびっくり、店員さんは知り合いでした。
以前に仕事で関係があった人の奥さんだったんですね。
なんだか渡されるときも、マックのスマイルの範囲を大きく超えた感じの笑顔で。
友好とお客への感謝ではなく、面白いハプニングを見たときのこみあげる笑いで。

あとでその知人に確認をとったら、さっそくチクられていました。

「ゆーりさん、ダブルチーズバーガー、チーズ抜きだって(笑)」と。

(笑)を好まない僕が、それを使わざるをえない雰囲気。

違う、食べられるんだ。チーズが嫌いで抜いたわけじゃないんだ。
そんな弁解は意味がないだろうから、同じ曜日の同時刻、ダブルチーズバーガーのチーズありでリベンジしてこようと思います。

[ 2013/02/21 00:21 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

「きれい=ブス」の問題


書こうかなと思っているネタが溜まってきていて、書きたいなと思っているんですけど、眠い。

自分で、これ面白そうだなと思うネタがあると、そのことを書きたくて楽しみなのに、そうして自分で期待してしまうから、かえってちょこっと更新できない。せっかくそのネタを書くなら、もっと体力のあるときに、時間のあるときに、眠くないとき、とっておきたいと思ってしまいます。

そうこうしているうちに、そのネタ自体を忘れてしまったり、覚えていても旬な話題ではなくなったりして、そのままお蔵入りとなった話題はいくらでもあります。もったいない。


たくさんの人と会う仕事をしたいと思ったり、一人で好きなだけ籠っていられる芸術家になってみたかったり、欲望の方向はいつも好き勝手に針路をとります。満足することを求めているけど、満足した途端に不満になるのはすべてのことに共通していますね。


「きれいだね」と言うのと「ブスだね」と言うのは同じセリフだと思う、という一文をぼんやり眺めていたヤフトピのリンク先で見かけました。きれいだね、とブスだね。たしかに、同じセリフとなる側面もあります。そうなると、人に対して印象を語ることは、どれもこれも同じになるんじゃないかという気もしますが、言わんとしていることはわかります。

でも、さすがに少し言いすぎかな。言い過ぎと言うのが適切でなければ、非常に潔癖な意見だと思いました。そうまで潔癖であるなら、もう言葉を使わない方が良いと思いますし、何か言われて笑ったり怒ったりすることもやめる必要があるのでは。どこに重心を置いて辺りを見回すかによって、物の見方や価値は変わってきますから、柔軟であることは一概に悪癖だとも思えません。

きれいだねと言われて嬉しい瞬間は、あってもいいんじゃないかな。

ないとは思いますが万が一、その一文を書いた方がこれを読むことがあれば、気を悪くしないでいただきたい。真っ向から否定しているのではなく、どちらかと言えば諸手を挙げて賛同できる言葉でした。社会では、そういう正しさを時として卑屈と受け取る人もいるので、ピンで生きていくのでなければ、お茶を濁して笑うことも処世術だと思います。自分の針路は自分が知っていればよい。人についてこいと言えるほど、可愛げのない人など誰もいないと思うのです。

[ 2013/02/20 00:20 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

change!!


出勤のとき、運転のお供によく缶コーヒーを買っていました。

今朝も同じように買おうとして自動販売機の前に立つと、驚いたことに、自動販売機の会社が変わっていました。昨日まではなんともなかったのに…って当たり前か。

でも驚いたし、なぜかショックでしたね。
コーヒー気分じゃないときはアロエドリンクを買っていたけど、
当然のようにメニューが変わっていて、もう買えません。

慣れ親しんだ何かが変わるというのは、なんであれちょっと悲しいものですね。
実害があるかないかは関係ありません。

きっと、僕のブログやサイトにも、ほんの少しは常連さんもいてくれると思います。
ある日突然このブログやサイトが消えていたら、
その瞬間、ちょっと悲しいと思うんですよ。
僕もそういう経験は何度もあるし。
自販機の交代も、似たような感覚を味わいました。
だからなんだというところですが、自分がちょっと悲しんだことを実感しておくのは、いいことのような気がします。

頼んだこと、指示をしたことを、すぐにやってくれる相手というのは信頼できると思いました。
仕事でも、普通の人間関係の中でも。
ということはつまり、自分も人からそういう基準で見られるかもしれないわけで、
気をつけなくちゃと思いましたね。

夜に久しぶりにマクドナルドのハンバーガーとポテトを食べました。いくつになっても美味しいけど、問題ないですよね。




[ 2013/02/19 02:50 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

彼らが頑張っているから。


なにかを頑張ろうとする気持ちを前面に押し出して努力している姿というのは、見ていてとても嬉しいもので、誇らしくさえあります。自分のことで味わえる満足感とは一味違う、ありがたいと感謝したくなるような、確かな質感をもった「素晴らしい」を感じることができるのです。

一人の人が、その他の人たちに与えることができる影響力は、状況次第で無限の可能性を秘めているわけで、それを良い方向に発揮していけたとき、途方もないパワーで世の中はハッピーになっていくのかなと思いました。

実際には、人が発するベクトルはプラス方向ばかりを向いてはいないので、一進一退といったところのようですが。

1週間を振り返るだけでも、あちこちで起こった悲しい出来事。不愉快な出来事。

生まれて初めて「嬉しい」という感情を覚えたときのことを、みんなが忘れなければ、人為の悲しい事件なんてなくなるんじゃないでしょうか。

どんなことにでも、可能性は無限、できないことなどなにもないから、なにをするのかよく考えよう。


[ 2013/02/18 00:06 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

ミスチョイス

Twitter のアカウントを作ってみました。

ゆーり@yuu_rii_s

メールよりも気軽にコミュニケーションが楽しめるのかなと思いまして。
特に、僕のサイトやブログはアダルトサイトになっているため、興味があってもなかなか参加できないという人もいるのかなと。Twitter なら、それ専用のアカウントを作って交流する分には楽なんでしょうか。

作ったはいいけど活用するかはまったくわかりません。
SMや羞恥に関して、思ったことを呟いていくのも面白そうではあるけれど、需要があるのかどうか。
いろいろ試していければと思いますので、フォローしてくださる方がいればじゃんじゃんお願いします。


最近、特によく思うことが「ゆーり」というハンドルネームにして失敗だったな、ということです。
そもそも、どうして「ゆーり」という名前にしたかといえば、ただ単純に「語感がカッコいいから」なんですね。音の響きが好きだっただけ。ついでにいえば、どことなく中性的な印象を与えるかなというのもありました。

ところが、語感はともかく「中性的」という点においては、これは完全に僕のイメージだったようで。

一般的にゆーりという名前が与えるイメージは「女性」のようです。

なので僕もよく、掲示板上などで女性でしょ?と誤解されます。
どこか別のサイトにした僕の書き込みを見て、てっきり女性の運営しているサイトだと思って僕のサイトまで来てくれてる人もけっこういると思います。

僕のサイト内には羞恥体験依頼という、僕へメールを送るためのフォームがあります。
そこからも、サイトをよく見ていないM男性の方から、「ゆーり女王様、調教してください」といった内容のメールが送られてきたりします。ちょっとコンテンツを見てくれれば、僕が男性だということはすぐわかりそうなものですが、しかしながら、誤解を受けやすい名前にした自分もよくなかったなと思います。

今回、ツイッターのアカウントを作成したときも、「ゆーり」という名前の登録者はほとんど女性。
改めて考えてみれば、たしかに女性の名前だな、ゆーりは。
羞恥系SMのサイトを作って公開していて、女性だと勘違いされて得になることは何一つないのに、なぜこんなまぎらわしい名前にしたのかと猛省してます。まぁ、音は今でも気に入ってるんですけど。

思い切って改名しようにも、サイト内にはゆーりという名前が頻繁に登場しすぎていて、それらをすべて修正するのも面倒ですし、これはもう、改名と同時に全面リニューアルしかないのかなと。それも難しいだろうな…
[ 2013/02/16 23:31 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

ツボ


仕事終わりに、どうも体がだるくて、ブログを更新しようかと思っていたのを、やっぱり今日はいいかなとあきらめそうになりました。

ふと視界に、足裏を刺激するためのコロコロした器具が入ってきて、
ちょっと使ってみようかなとやってみることに。

床に置いて、両足で乗って、足裏を刺激するだけ。
たしかドンキホーテで数百円で購入したものだったと思います。
しかし、その刺激がすごい。

慣れるまではとにかく痛い。
いや、痛いのは僕の問題があるからで、健康な人がやっても痛くないのかもしれない。
でもとにかく、僕は痛かった。
姿勢を含めて、身体にどこか悪いところがあるからこそ痛いんだと自分に言い聞かせ、
しばらく耐えながら踏み続ける。

数分は頑張ったでしょうか。(まっ、数分だけです)

終わりにして、机に戻って座ると、頭がすっきりしてました。
妙にだるかった身体も軽くなった気がする。効果絶大ですね、足裏のツボ刺激は。
たった数百円のものにあれほどの威力があるとは。
素晴らしい。

おかげで、心が折れたままにならず、いまこうしてブログを更新できたというわけです。

めでたしめでたし…

[ 2013/02/15 23:44 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

I want them to win today.


バレンタインディということで、チョコレートをいくつかもらいました。

決して甘いものが苦手なわけではありませんが、チョコレートを一枚食べるということが、難しくなってきました。子供の頃は喜んで食べていたはずなのに。食べ過ぎると鼻血が出るよと叱られていた気がするのに。ごく普通に売っている板チョコ一枚を食べきるのにやたらと時間がかかるとは、これが加齢なのか…

でも待てよ。チョコレートパフェならいまでも余裕で食べられるな。

子供の頃、チョコレートをいくらでも食べれたっていうのが間違った記憶で、結局は鼻血が出る前に食べるのをやめていたわけでだし、食べられた量はいまとそんなに変わらないのかな。チョコレートというものの食感というか質感が、あまりに大量には食べられないようにできている気がするし。

よく、雪山で遭難とか密室に閉じ込められた物語の主人公とかが、一枚のチョコレートを大切に舐めつつ、何日もの間を生き抜いたみたいな話がありますよね。チョコレートの質感からして、どうも本当にそれくらいの力はありそうだ。どこへ行くにもいつも、一枚のチョコレートを携帯するようにしようかな。万が一ってとき、それで周りの人を救えたらカッコいいし。

「こうなったらカッコいいよな~」ってリアリティ無視の夢見心地で妄想してることって、実現しないことばかりだけど。

[ 2013/02/15 01:19 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

明日も掃除を頑張ろう


スマートフォンの液晶をキレイにするのに、ファミリーマートで売っていた無印の眼鏡拭きを使っています。あっというまにピカピカになるので重宝しています。

試行錯誤を繰り返して、いま僕は、液晶にカバーフィルムを貼らずに使用しています。
何も貼り付けずに直接ガラスにタッチする方が、触り心地がいいし反応も良い。それに、落としたり金物と同じポケットに入れたりしなければ、そうそう傷がつくものでもないと気がついたんですね。

それで、裸の液晶のままで使っているわけですが、最近になって思うのは、ガラスもやはり劣化するんだなということです。今はまだ、眼鏡拭きでサッとすれば、新品同様にキラキラした輝きを取り戻す。でも、汚れるまでの速度がどんどん早くなってる気がするんですよ。指の油っていうんですかね、それがガラス面に付着して、指紋の痕が残る。その痕が、つきやすくなっていると思うのです。きっと、新品時は汚れが付着しにくいようなコーティングがされていて、そのコーティングが次第に落ちていってるんでしょう。だから、眼鏡拭きを使用する頻度も上がってきています。掃除をすればするほど汚れやすくなる、というのは真理なんでしょうか。そう言ってみると、よく掃除をするところほど、汚れたり散らかるのも早いような。汚れるのが早いから掃除も頻繁になるのか、逆なのか。両方が能動的で、相乗効果でそうなっているのか。

ものによるか。

また、くだらないことを何か世の成り立ちに関わる一大事のようなテンションで考え始めるところでした。
くだらないことを真剣に考えるのって、頭の回転を保とうとする上ではいいことなのか悪いことなのか、どっちなんだろう。

くだらないことなどなにもないからいいんだろうといいきかせよう

[ 2013/02/14 01:22 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

100年先のロープ


夕食を食べ損ねてお腹ペコペコです。

腹ペコだと、仕事をするにも頭が働かない。
というか、頭と身体が連動しない。思っていることや考えていることが先行していくのを、動かない身体がボーッと眺めているような感じです。空転する頭が非常に虚しい。

しかし、夕食を食べ損ねたくらいの空腹でこうなるとは、自分がいかに恵まれているのかを実感します。日本に生まれたことを感謝しなくてはいけませんね。

あと何十年、何百年後の未来を思うと、そのときの地球はどうなっているのかなと興味が尽きません。
色々と気になることはありますけど、ここは一応SMのブログなので、SMのことで言うなら、それくらい先の未来でも緊縛はあるんでしょうか。麻縄は健在で、鞭やら蝋燭やらといったアイテムも、いまと変わらずに需要があるんでしょうか。アダルトグッズもどんどん進化していきますけど、縄の代わりになるものは、なかなかできないんじゃないかと思います。肌に触れる感覚が向上したり、手入れがいまよりもっと便利になったりはするのかな。

アダルトグッズで突き進んでいきますと、コンドームとかはなくなりそうですよね。
避妊ということなら、もっと有効な飲み薬なんかが開発されそうな気がします。

ローターとかバイブとかは?
さらに進歩して、凄まじく快感なやつができるんですかね。
各方面の進化が合わさって、究極の一品が登場するのかもしれません。
触れれば即エクスタシーの禁断のグッズとか。

ただ、味気ないなって気もしますね。むしろそんな気しかしない。
SMという嗜好の中には、手間を省くという意味での進歩はほとんど必要なさそうです。
エクスタシーそのものも重要でしょうが、そこに至る過程の方が僕は楽しいですし。

いまはネットの全盛で、何十年何百年後にもやっぱりネットはあるんですかね。それとも、もっと便利で効率のいいシステムが構築されていて、インターネットというものが過去の遺物になる日も来るのか。それにしても、いま現在のSMの形というのは、写真でも動画でも、なんらかの記録媒体を通じて100年先の未来にも保存されているだろうし、それを見て、その時代のSM愛好家の人たちはなんと言うのか、興味があります。

[ 2013/02/12 23:32 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

矛盾と無常を乗りこなせ

様々な種類の問題があって、それぞれに正答と呼んで差支えないような解答があり、いくつかの問題が交差したときに、その解答同士が矛盾してしまうなんてことも、よくあることです。

よくあることだから、といって流せればそれでいいのだけど、当事者はそういうわけにもいかないから、葛藤を抱えたままでストレスを蓄えていくことになります。スケールの極端に小さなことから想像が追い付かないくらいの大きなことまで、どのレベルの事柄にも同じことが言えると思うので、そういった矛盾にどう決着をつけていくのが最善なのか、せめて方向性だけでも知っておきたいものです。


話は変わりまして。


毎日の体感温度が、明らかに上がってきています。

まだ夜は寒いし、無防備でいればつま先は凍てつきますけど、それも瞬殺というほどの勢いではない。2月って、こんなに暖かいんでしたっけ。それとも、またこれから寒のもどりってやつがあるんでしょうか。願わくば、このまま暖かくなって、梅から桜へと順調に進んでいってもらいたいものです。

やっぱり、春はいいですね。日本人にとって区切りの季節は春なんだなと実感します。正月は正月で、当然一年の変わり目ではあるものの、「新しいなにか」を迎えて弾む気持ちというのは、春の方が圧倒的に勝っている気がするのです。なにかが始まりそうな、なにかが変わりそうな、希望とか未来とか、何を真面目に語っているんだって感じですけど、そういう言葉がしっくりくるのは、春じゃないでしょうか。義務教育があるので、よほど稀有なケースでもない限り、少なくとも小中学の9年間を、春を区切りに過ごしてきたわけで、思春期の人格形成に大きな影響を与える時期、春を基準に成長を確かめ、意識してきたのだから、そういう刷り込みは絶対にあると思うんですよ。

いつを基準に、なにをきっかけにするのかは、まぁどうでもいいことだとは思いますが、日差しが強くなっていくのを日々実感できるこれから4月にかけて、自分にとって前向きな、新しい、どきどきわくわくできるような、なにかそういうチャレンジをしてみるのは素敵ですね。

さしあたって、僕は何を始めようか考えちゃうな。
うーん…

[ 2013/02/12 00:28 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

仮定からQED


無駄なことを省いて生きようとすると、てきぱきとした行動にはっきりとした時間経過が乗ってきて、それはそれで居心地の良いものだと思いました。ずっと続けようとすると息苦しい面もあるので、適度な息抜きは絶対に必要だと思いますが、判断の連続を厭うことなく、効率の良い行動を目指していくのは楽しかったりもします。

なぜこんなことを言うのかといえば、少し前から理系的なものの考え方というのに凝っていて、はたして理系的な考え方ってどんなことなんだろうと思ったからです。「1+1=2であり、3よりも小さい。いま必要なのは3よりも大きな数だから、それを得るために1+1は選択しない」といった思考を、日常生活の中にも適用させて考えていくことが、理系的なものの考え方、というのに近いのかと結論づけました。もちろん、これは僕がそう結論づけたというだけで、一般的、あるいは第三者的な視点からすると、また別の解釈もあるのかもしれませんが。

プラスとマイナスの考え方は、スムーズに日常に持ち込むことができますが、掛け算・割り算となってくると、理屈はわかっていても日常への応用が難しい。みんなでごはんを食べたときの割り勘とかならすぐできますけど、そういうことじゃなくて。

どちらも、上手に使いこなせば便利かつ有益なことなんでしょうから、どうやって自分の生活の中に、積商の概念を導入していけば良いのか、眠る前に考えたりします。無駄なことではないと思いながら。

すべての物事は数学で説明できるといった主旨の言葉を、数多くの著名人や偉人が残していたと思います。それが事実でも、すべてを数学で説明したいとは思いません。=退屈だと思ってしまう、僕は煩悩たっぷりの人なので。でも、そういう考え方があるなら、知ってみたいなとは思う。新しい考え方、新しい価値観、そういうものに頭から飲まれるのではなく、自分が飲み干す気持ちでいれば、調教や仕事をするときに大きなプラスになると信じられるからです。

[ 2013/02/10 00:16 ] その他 | TB(0) | CM(0)

Let's ・・・


情報社会の急速な発展に伴って、数多くの種類の言葉が、その意味を変化させている気がしました。

言葉は生き物なので、時とともにその意味や形が変わっていくのは当然ではありますが、そのスピードが、異常なほどに速くなっているんじゃないかと。

人は、言葉を用いて思考する生き物ですから、その言葉の意味が安定しないと、思考する内容も不安定となり、本人が自覚できないままでも五里霧中の状態になってしまいそうです。つまり、迷っているということもわからないままで迷子になるという、厄介で、自力での打開が困難な状況に。

自分という人間を、どう表現していいのかわからない人はたくさんいると思います。
あなたってどんな人?
そう聞かれて、こうこうこういう人だよと、理路整然と答えられる人が何人いるでしょうか。
「よくわからない」というのが正直な答えのような気がします。
その、よくわからない状態に拍車をかけるように、もともとあった言葉のニュアンスが変遷していってしまう。そうなると、自分の何を信じられるのかすら曖昧になってしまいそうで、怖いですね。

SMに関しても、同じように、SMという言葉の露出が増え、多くの人がそれに触れ、人それぞれに解釈を重ねるうちに、「で、SMってなに?」という質問に対する解答も、無数に考えられるようになってきています。一般的なイメージでのSMというのがもう通用しなくなっていますよね。

SMというものに対するハードルが下がっているのは悪いことではないと思うし、ネットの普及と進化により、SMの情報や出会える機会が増えているのも良いことだとは思います。ただ、あまりにも入口が増えたおかげで、自分がどの入口から入ったら自分の望むことを得られるのか、わかりにくくなっていると思うのです。漠然と、SMに興味がある、という状態から、どういう情報を入手して、どんな入口から入っていけばいいのか、選択肢が多すぎてわけがわからなくなっている人も多いんじゃないでしょうか。

女性であれば、出会い系の掲示板にでも書き込みをすれば、あっという間に何十、何百という反応が得られると思います。その中から、自分が望んでいる相手を見極め、選択していくことは、これからSMに入っていこうとする人にとって、とても難しい作業のように思います。

選択の幅が広がったことで、選択肢を選びにくくなり、正解も見つけにくくなっている。皮肉な一面もあるんでしょうね。

SMだけではなく、他のどんなことにでも言えることだとは思います。
たとえば就職先を探すのだって、30年前と今を比べれば、今の方がどれだけ多くの選択肢から、自分の望む場所を探せることか。そういう面では恵まれているのでしょう。その恵まれた状況を、どれだけ使いこなせるのかは自分次第で、その自分を知ろうとしたときに、言葉の変遷の速度は、あまりに速すぎます。

僕はいま35歳で、普段、自分より若い世代の人と話すことが多いもので、ジェネレーションギャップを感じつつ、彼らが羨ましかったりもったいないと思ったりします。いっぱい選べるんだから、怖がらなければいいのに。一歩踏み出しただけで道に迷うなんてことは、実際にはそれほど多くはないはずです。一番取り返しのつかない選択というのは、何も選択せずに時間が経過し、何も選べなくなってしまうことだろうし。



…実は、書いている途中で電話が入ってしまい、途中から何を書いていたのかわからなくなっちゃいました。

後日再チャレンジの方向で。
今日はこのまま、中途半端に更新しときます。
[ 2013/02/09 00:03 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

Money in the hotel


先日ヤフーのトピックスで、「年収は使っている財布の値段の約200倍」という記事を見つけて、面白そうだったので読んでみました。書いていたのはある税理士さんで、仕事上、多くのビジネスパーソンと知り合い、またその人たちの財布を見て至った考え方ということでした。

財布の値段の200倍といっても、駆け出しのサラリーマンで、欲張ってちょっと高級な財布を買ったという人もいるだろうし、当然例外は出てくるのだと思います。でも、財布に対する意識というものが、自分の収入に対する指針のようなものとして考えられるのは、なるほどと思って目から鱗でした。

その記事で書かれていて印象に残ったのが、「財布はお札のホテル」という表現で、居心地が良ければリピーターとなり友達を連れて戻ってきてくれる、という文章でした。そういう想像力って素敵だなと思い、ホテルとしての財布を清潔に、また喜んで来てもらえるように保ちたくなりました。

著者である税理士の人も、まだ税理士になる以前、ある中小企業の社長さんの前で自分の財布を出したとき、「お金を扱う税理士を目指す人間が、財布をきちんと扱わないのでは信用を得られないよ」といった主旨のことを言われたようで、それ以来、自分の財布に対する意識が変わったそうです。僕も、記事を読んですぐ、財布の中の掃除をして、混濁していた中身を整理してみました。気のせいか、いまは財布に入っているお札ものびのびとしているような…。


話はガラッと変わりまして、今度は「字」についてですが。

何人かの作家の、直筆を目にする機会があり、人それぞれの字体を興味深く拝見したわけですが、やはり共通して言えることは、物書きの字には味があり、読みやすいということです。達筆なのかどうかは、僕自身が字に心得のある人間ではないのでわかりませんが、読む人に読みやすい、見ていて心地いい字体なのです。自分の字が、読む人にどう映るのかがとても気になってきました。


とまぁ、なんとなく思ったことを書き流しつつ、本日の更新はこれくらいで。
文章を読むこと、書くこと、やっぱりどちらも楽しいものです。

[ 2013/02/07 23:42 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

暖かい日々


成人式の日に積もった雪のイメージが強く、それと同じくらいと囁かれていた今日の雪に対して、必要以上に過敏になっていました。蓋を開けてみればなんてこともなく、昼前には雨に変わり、景色の雪化粧もちらほら白さが目につく程度でしたね。

一週間ほど前から、気温もだいぶ上がって気がします。月が変わったことによる思い込みもあるのかもしれませんが、今夜なんかも、コートを羽織らなくても問題ないくらいに暖かいです。毎年、そういうときに油断をして、寒の戻りにやられて風邪を引いたりするので、今年こそ、油断禁物で。

少し早い時間に出勤をして、職場の模様替えをしてみました。
といってもほんの一部だけ、一人でやれることなんでたかがしれていますが。
ついでに、いつもより丁寧に掃除をして、いまは非常に気分が良いです。
やっぱり、自宅にしろ職場にしろ、掃除が行き届いていて、整理整頓もきちんとされていると気持ちいいですね。なぜかそれだけで、仕事の効率も上がる気がするし、頭の回転も速くなりそうで。

しかし、基本的に毎日職場の掃除をするし自分の机周りも片づけるのに、ほんの少しずつ積もった塵が、目に見える形ある汚れとなって表れてくるのは、世の中の無常を表してもいるようで、切ないものです。その汚れを、数か月に一度の大掃除で取り払ったとしても、それでも払いきれないなにかが残っていて、いずれそれらが蓄積されて目に見えてくる。常に変わらず新品状態を維持することは、なんであれ難しいのでしょう。

車も、部屋も、スマートフォンも、パソコンもテレビも、手入れをきちんとしていても、時間が経てば傷んできます。傷んできても、それが「味」だと言えるような、大切な使い方をしたいものです。

人も、人との交流も、自分自身も。

[ 2013/02/07 00:23 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

いつのまに消えたのやら


普段、MSNのアドレスを使用することがあるんですが、
昨日になって、そのアドレスの中の受信メールがほとんど消えていました。

正確には、受信ボックスの中でフォルダ分けされていたメールが、すべて消えました。
ようするに、フォルダごと消えていたわけです。

たとえば「仕事関係」「友人」「サイト関係」のような形でフォルダを作成してあって、
頂いたメールを内容や差出人に応じてそれぞれのフォルダに入れておいたのですが、
フォルダが丸ごと消えてしまったのでショックです。
まぁ、仕事絡みで取り返しのつかないメールなどはなかったですし、
そういうものはフリーのアドレスではやりとりしませんけど、
それでもやっぱり悲しいですね。

このブログやサイトを通じて頂いたメールも、MSNを使用していたものに関してはほぼ全滅です。
なんだかなぁ…・

そもそも、どうしてフォルダが消えたのか、理由がまったくわからない。
フリーなんだから、そういうこともありえるよといえばそれまで。
むしろ、そういうあちらの不具合で起こった現象ならいいんですが、
パスワードが盗まれたとかだったら怖いですね。
とにかく、悪意が介在していないなら、仕方ないかとあきらめます。

今回はMSNでしたが、よく考えてみれば、ネット上でのやりとりは、物質として何かが残っていることが少なく、そのうえでの知り合いともなれば、実は非常に危うい繋がりしかないんでしょう。その手軽さが良いときもあれば、ふとした拍子に淋しくなったりもしますよね。

インターネットを中心に、こんな風に便利に、できることが増えていくことを、20年前には考えてもいませんでした。してみるとあと20年後、世の中はどうなっているんでしょう…?


[ 2013/02/05 00:06 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

他人事なんてない。


2週連続の日曜出勤でした。
おそらくは3週連続になると思われるので、曜日の感覚がさっぱり失われそうです。

肉体的にはともかく、やはり「休日」は必要ですね。
集中力には限界があるので、休日という形で区切りがつかないと、せっかく仕事をしていても惰性になってしまいそうです。メリハリがあるのは良いことだし、毎日を充実させるのに必要な条件だと思います。

ここしばらく、体罰の問題が新聞やTV、インターネット上でも話題に上っています。
体罰の定義も曖昧といえば曖昧だし、大人の認識と子供の認識には相違があるでしょうから、
解決していくのは困難でしょう。
そもそも、体罰という言葉で括ってそれを問題としていても、ひとつひとつのケースにほとんど無限の状況がありますから、画一的に盤面この一手を決めることは不可能だと思います。

僕は、体罰に大賛成というわけではありませんが、
猛反対かといえばそうでもありません。
時と場合に応じて愛の鞭が必要なことも考えられると思いますし。
自分が生徒であった頃、教師に殴られたことは数えきれないほどありますが、
その中には、あのとき殴られて良かったなと思えるようなものも混ざっています。

もちろん、そんな美談には当てはまらないような暴力に近い体罰もありましたし、
する側とされる側で同じ行為に対する認識がズレていくのは当たり前なので難しいところです。
「体罰」を振るう、ということは、少なくとも目上の人間がすることですから、
誰かにとって目上の立場に自分がなったなら、特に気をつけて意識していかないといけないでしょう。
たいていの人は、年齢を重ねるごとに、誰かにとって目上の存在になっていくものですから、つまり体罰の問題は、被害者感情だけではなく、加害者サイドの意識としても、他人事ではないということです。

SMで行われる行為の中にも、一歩間違えば暴力であり、犯罪とも言えるようなものがあります。
一歩間違えばというか、見る人によっては完全に暴力、犯罪としか映らないような行為も。
そういう事実も、まずは自分自身が意識していくことを怠ってはいけませんね。


[ 2013/02/03 23:17 ] その他 | TB(0) | CM(0)