スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

「羞恥の時間」blog について

「羞恥の時間」blog に来ていただき、ありがとうございます。

このブログではゆーりの思ったことを徒然と、思ったままに書き流していこうと考えています。
なので、普段の更新はほとんど、単なる日記や雑記としてのものとなります。
(ホームページ「羞恥の時間」は現在公開停止しております)

たまに写真や羞恥課題などをアップすることもありますが、SM や羞恥、露出などのアダルト要素をお求めの方は、本サイトの方へ飛んでいただければ。

ブログを通じて、色々な方と知り合い、交流できたら嬉しいと思っています。

FC2 Blog Ranking ← ランキング参加中です。ご協力お願いいたします。

[ 2020/02/13 02:38 ] その他 | TB(0) | CM(3)

大杉漣さん


俳優の大杉漣さんが亡くなった。

みなさんがそう言うように、僕も大好きな俳優さんでした。

劇団出身の方というのは、俳優という括りよりも役者といった表し方がしっくりときます。大杉漣さんの場合、俳優と呼んでも役者と呼んでも、どちらも特に違和感がありません。最近ではバラエティでの露出も増えていたので、思い切って「タレント」と表しても無理がない。さすがカメレオン。何百の顔を持つ男と呼ばれていたのだから、俳優でも役者でもタレントでも、おそらくは芸人や歌手であっても、なんでもはまってしまう水のように柔軟な印象を感じます。

闘病中との情報もなく、事実、直前までは健康にしか見えず、様々な番組に出演され、ロケもこなしていた。急な訃報は仕事中に聞いたのですが、かなり大きな声を上げて周囲の人を驚かせてしまいました。

それから何日も経ち、今日になっても大杉漣さんの人柄を伺わせるエピソードは次々と更新されていきます。よくありがちな、死後に暴露される醜態や悪評をひとつも見かけない。主演の代表作を問われても正直ほとんど思いつかないけど、どの作品でどんな役を演じていても、それが漣さんだと当たり前のように受け入れて、良い意味で芝居の巧さに気が付きにくい人だったと思います。

そして、どんな悪役を演じているときでも、「きっとこの人、普段はとてもいいひとなんだろうな」と思わせる心象。
いわゆる「大御所」と呼ばれるような立場とは違う気もするけれど、その存在感や実力を、失って初めて強烈に認識した人も多いんじゃないかと思います。僕も、大好きでしたしテレビや映画に出演しているのを見るとそのたびに嬉しい気持ちにもなっていましたが、死後にここまで大きな喪失感が訪れるとは思っていませんでした。そもそも、亡くなるということを想像すらしませんでしたし。

そんな素敵な人がいたんだと再認識をしたことで、我が身を律し、省みる機会とさせていただきたいと思います。

ご冥福をお祈りいたします。







[ 2018/02/28 17:29 ] その他 | TB(0) | CM(0)

更新維持


やりたくないことこそ真っ先にやってしまった方がいいとか、他人に対しては当たり前のように言えるアドバイスを、自分に適用して頑張り続けるのは思いのほか難しくて大変です。こうした方がいいんだろうなって思うことはいくらでもあるのに、そのうちのいくつをやれているかと言えば、片手で充分に数えられるほどに少ない。正論しか選択できない毎日はきっと退屈だろうし、その結果として得ることができる満足感というのが本当にあるのかどうか疑わしい。

各種様々なツールが生み出されて便利といえば便利なこの頃、ふと昔を思えば、そのとき不自由なんて感じていなかったなと思い当たる。モノクロな景色の中に、浮かぶ笑顔はいまよりもっと奥深い、ものだった気がする。








[ 2017/11/23 17:33 ] その他 | TB(0) | CM(1)

四六時中のエクスタシーを。


かなり久しぶりの更新になってしまいました。

更新頻度が落ちまくっている間、社会では色々な出来事が起こり、マスメディアで報道されるニュースの傾向も大きく様変わりしてきた印象を持ちます。

自分が若い頃には、そもそもワイドショーのような番組を見る機会が少なく、それほど意識していませんでした。最近、ライフスタイルにマッチすることもあり、昼の時間のニュース番組、つまりワイドショーをよく見ています。ちょうど車を運転している時間で、そこで流れてるんですね。昔からなのか、芸能人の不祥事か政治に関する不信がほとんどで、明るいニュースは1割もありません。探せばあるんだろうに、それを流しても数字は取れないからなんでしょう。

連日、あれだけマイナスばかりの報道が続くと、無意識に負の感情が刷り込まれ、蓄積されてしまう気がします。人の不祥事を笑うのが気持ち良いときもあるにはありますが、それだって本当に気持ち良いのとは違う。きっと、人を笑ったぶん、どこかで自分のこともバカにする気持ちがあり、そちらは自分自身では意識できないままに目に見えぬ埃となって心にモザイクをかけてしまいます。自分の本当がわからなくなるような、曖昧模糊とした視界に住んで、気がつけば月日だけは確実に過ぎている。そういう見方をすれば誰だってそうなだけ、ということなんでしょうか。もう少しストレートな現実感の中で自分自身の「動き」というものを体感しながら暮らしていきたいものです。

ゾクリと震えるような喜びや悲しみ、怒り、そんな真っ直ぐな感情を、少しずつ失っていく。つまらない。バーチャルリアリティの世界がいつか、現実にとって代わるのもありえない話じゃないと思えてしまう。マトリックスをいま観賞したときに、いけるものならあの世界に行きたいと感じる若い人はたくさんいそうです。

以前お話ししたように、僕の仕事は「若い人」と多くふれあうもので、その若い人たちが自由な時間にやっていることの大半はゲームです。ゲームでなければオンラインでのコミュニケーション。すべて現実世界でやっていることですから、それが現実の一部と言ってしまえばそれまでですが、温度を感じる現実を避けているようにしか見えない。暑くても寒くてもエアコンの空調に守られて、自分を慈しむ意志だけは順調に尊重する。生き物が進化するということは、決して自然に逆らったり自然から逃げることではないはずなのに。生きていくチャンスを与えられながら、それをボカしてしまうのは大変もったいないものです。

かくいう僕も、そういう状況の中にほぼ順応して寝て起きてます。
言葉にできないストレス、というかもっと大きな圧力に包まれて、時速で数ミリにも達しないような速度で追い込まれている。ときにそれが目に見えるくらいの瞬間もあり、「そんなものを見ていても仕方ない」から目を切る。なんでしょうか、この不毛な感じは。

ハイリスクハイリターンを求めるのは異端であるという現代の風潮は、究極としてノーリスクノーリターンを偏差値50として、平均は一般で一般は普通で、普通が一番幸せで、ともっていこうとしている。常に例外はあるけれど、それを例外と呼ぶうちは、やっぱりまだまだダメなんですね。

危うさはセクシーであり、不安定はクライマックスであり、生きていることがエクスタシー。

過ぎ去った夏、つんざく音で鳴きながら迷いなどなく目の前の世界を丸ごと突っ切ろうと飛んでいた蝉たちのエネルギーは、何かを責めても生まれないから、向き合うことが大切ですね。


[ 2017/10/14 15:28 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)

なんでもイコールになる万能感と当たり前のスケベ心。


S と M の気持ちがシンクロしているとき、指先ひとつでも充分な調教が可能で、そういう意味では、サディストとしての資質に五体満足というのは必要不可欠ではないのかもしれません。突き詰めて考えれば、視線だけでも同じことは言えるし、究極としては、主がそこにいて、なんらかの意思表示をするだけでも、全身に痺れが走るようになることだって不可能ではないのでしょう。というか、長く SM に関わっている人であれば、それに近い経験の一度や二度はしたことがあるでしょうね。

その閾までいきたいと思う人はそれほど多くないので、理解されにくい部分だとは思います。趣味嗜好、タイプ、目的や求める相対関係の差異によっても目指す方向は違ってきますから、さきほど述べた「究極」という言葉も、適切かどうかはわかりませんね。

ある瞬間、そこまでの全能感に酔いたいときもあれば、ミニスカートを自らめくりあげて顔を赤くしている M の様子をニヤニヤ下心に包まれて眺めているときもある。スケベの S が圧勝しているときが多く、でもまぁ、それでもいいやと開き直る。

とにかく僕は、いろいろしたいわけで。

[ 2017/06/12 23:13 ] SM and Sex | TB(0) | CM(0)

「ハッ!!」


なんだか気合いが入ってきた。

正直なところ、仕事も含めた日常生活に忙殺されていて、それが数年続いていた。頭の回転が鈍くなり、思考の見通しもぼやけがち。一念発起というのを、人は一生で何度するのかよくわからないけれど、今日不意に、そんな感覚になり、脳内の霧が消滅した気がします。

そんなモードに入ると、思考にも鋭さが戻ってきて、我ながら頼もしい。慢性的な頭痛、仕事後の抗いがたい眠気、重い身体、それらをごまかしながらやり過ごすためにすり減らす精神力。そういったネガティブな要素が排除されて、真っ直ぐな視点で自分と進路を見渡してみれば、ポジティブな宝の山は手に届く範囲にいくつも光っていて嬉しくなってくる。

そうありたいと願う自分を強く思えば、そうあれる資質は誰にでもある。思いの強さが大切で、そこから他のことが始まる。他人ではなく、自分に何かを求めることが大切で、そうすることで他人との関わり方も変化する。自分は大事ですね。

[ 2017/05/23 17:06 ] 雑記雑文 | TB(0) | CM(0)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。